開かれた救い 2021年11月1日 降誕前第8主日・宗教改革記念日
ペトロの手紙一・3章13~17節
宗教改革者ルターは聖書を深く読んで黙想することによって、「憐れみの神が信仰を通して私たちを義とする」という福音を受け取りました。それは善行を積むことによって神に義としていただく信仰とは正反対の理解でした。
彼は当時の教会の間違った信仰理解を正そうとしました。しかしこれをきっかけに教会は分裂してしましました。400年以上たった20世紀に入ってから、ようやく教会一致運動が起こり、宗教改革500年の2017年にはカトリックとプロテスタントが合同で記念式典をおこなうまでに相互理解が深まりました。
「キリストのみ」に集中するならば、人々を恐れたり、心を乱したりする必要はありません。ネヘミヤが「わたしの神よ、わたしを心に留めてください」と祈ったように、神にすべてを委ねる生き方をしたいと思います。そしてペトロが勧めるように神に認められるためにではなく、神を信じる信仰によって「良いことに熱心でありたい」と思います。
キリストの愛と平和 2021年10月24日 降誕前第9主日
コロサイの信徒への手紙3章12~17節
使徒パウロは獄中からコロサイの信徒たちに『何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい』と書き送りました。そして信徒たちは感謝をもって、主を資美し、主をほめ讃えていました。
これは先ほど読んで頂いた詩編33編の状況です。詩編の詩人は『主は恵みの業と裁きを愛し、地は主の慈しみに満ちている』と主を讃えました。
パウロの時代において、様々な思想と宗教の状況の中で、呼び集められた人々が、主の愛と平和の恵みを頂きつつ歩んだことを改めて思います。
不確実な時代といわれる現代に生きる私たちも感謝の共同体として、旧約の時代から詩編として受け継いでいる賛美と喜び、そして神からいただいている愛と平和という恵みを分かち合い、伝えてまいりたいと思います。
(文責:ベテル教会牧師 関義朗)
恵みを受ける 2021年10月19日 聖霊降臨節第22主日
ヘブライ人への手紙4章14~16節
イエス様は私たち一人ひとりのために、そして私たちすべてのために父なる神に執り成してくださる唯一の大祭司です。神から憐れみを受け、恵みにあずかり、時宜にかなった助けをいただくためには、イエス様にしっかりつながっていれば良いのです。
私たちは信じるにしてもいろんなものを信じたほうが恵みが大きくなる、あるいは早く願いが叶うと誤解しがちですが、私たちを造り、この世界を治めておられるキリスト・イエス様に祈ることだけで十分なのです。キリストの執り成しに信頼して、信仰告白を唱えながら、喜んで恵みの座に進み出て、恵みをいただこうではありませんか。
私たちはこの世の矛盾や不条理の真っ只中で、キリスト・イエス様と出会います。そして私たちはイエス様と共に、この世にあって神の国の現実を生きていくのです。そこには神の恵みと憐れみがあり、時宜にかなった助けが与えられます。
神は知っておられる 2021年10月12日 聖霊降臨節第21主日
ヘブライ人への手紙4章12~13節
恐れや迷いの中にある時、キリストはその人に相応しい御言葉に出会わせて慰め、励ましてくださいます。一方、誘惑に陥り、邪な考えを持った時、キリストは厳しい言葉で叱責します。世界を創造された神の御前では、どんな被造物も隠れることはできず、その心の中まで見通されます。
うまく隠し通して死んだと思っても、陰府にまで降られたキリストから逃れることはできません。いつ罪が明かされるかとびくびくして一生を終え、ようやく死んですべてが終わりだと思っても、死後に裁きが待っているのです。悔い改めるより他に罪から逃れる方法はありません。
神の言葉に聞き従い、神の安息にあずかりましょう。罪の誘惑は私たちをこの安息から引きずり出し、神を忘れさせようとしますが、私たちは神の安息の中にとどまり、憩おうではありませんか。
神の言葉は私たちを生かしてくれます。私たちの魂の隅々を満たし、罪の誘惑を退けてくれます。
主の食卓を囲む 2021年10月3日 聖霊降臨節第20主日・世界聖餐日
ヘブライ人への手紙2章5~13節
聖餐とは主なる神の食卓に招かれて共に食事をすることで、その主人はキリスト・イエス様です。私たちはそこで主にあってひとつであることを知ります。聖餐には安息と平安があります。
紛争と暴力がはびこり主の平和が実現していない現実を見て、キリストがこの世界を支配しておられることを忘れてしまっては、私たちは絶望するよりほかありません。この世界には破れがあり、私たちは弱く力のない存在ですが、キリストは決してこの世の悪や罪に負けることはありません。
主は神の国の到来を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、私たちのために忍耐しておられるのです。
私たちは世界が分断されて、聖餐にすべての人が集えないことを痛みとして覚えつつ、聖餐を受け神の国に向かって歩みを進めていきたいと思います。
分かち合う喜び 2021年9月26日 聖霊降臨節第19主日
ヤコブの手紙5章1~6節
今から30年ほど前、日本がバブル景気に沸いていた頃に、ある富豪は「自分が死んだらゴッホとルノワールの絵をお棺に入れて一緒に焼いてくれ」と言って世界中からひんしゅくを買いました。この金持ちには、名画は人類の財産であるという意識がありませんでした。傲慢な金持ちはこんな当たり前のことが分らなくなるのです。このように金持ちの蓄えているものが罪の証拠となったのです。傲慢で自己中心的な金持ちは主にある交わりを否定します。金儲けのためなら集団で悪を行うこともあります。世界中で起きている資源や食料を奪い合う紛争はこの事を示しています。
ヤコブが糾弾している傲慢な金持ちを私たちも糾弾し、搾取され苦しめられている人々と共にありたいと思います。すべての人が生きていて良かったと思える人生を送ることができるように、私たちは分かち合う喜びの生活を目指しましょう。お金とは比べ物にならないほどの価値のある「神と隣人との交わり」を求め、神が愛してくださった無償の愛を分かち合いたいと思います。
あなたにはキリストがいる 2021年9月19日 聖霊降臨節第18主日
人間には利己心や妬みの心があります。この心は人間が神から離れ、心の中に忍び寄って来た罪によるものです。ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあります(ヤコブ3:16)。
イザヤ書53章にはキリスト受難の預言が書かれています。神の僕は軽蔑され、無視され、刺し貫かれたのですが、それは人々が神に背いた罪を担ってのことだったことを人々は知りました。
私たちはねたみや利己心の誘惑に襲われます。だから誘惑から救い出してくださるように、主に祈らなければなりません。キリストは私たちに知恵を与えてくださいます。妬みや利己心をキリストに委ねて、平和のうちに義の実を蒔きたいと思います。
私たちはそれぞれが自己中心になることなく、キリストを信じて、忍耐強く主にある交わりの輪を広げていきましょう。
キリストが促してくださる 2021年9月12日 聖霊降臨節第17主日
使徒パウロや宗教改革者ルターは、「人はキリストを信じる信仰によってのみ救われる」と教えました。それでは人はキリストを信じれば良い行いをしなくても良いのでしょうか。これがヤコブの手紙が示した問題提起です。
パウロもルターも「人は信仰によって正しい人と認められ、霊によって良い行いをするように変えられる」と説いています。良い行いを積み上げても主に正しいと認められることはありませんが、キリストを信じる信仰によって人は義とされ、各人の自由において良い行いをするように変えられるのです。
キリストが私たちのために無償の愛をもって私たちを救い出されたように、私たちも愛をもって他の人々を助ける行いをしたいと思います。愛の行動としてキリストに促されてこのことをしていくのは喜びです。救われたのだから何もしなくて良いのだという誤った信仰に陥ることなく、私たちは無償の愛によって良い行いを為していきたいと思います。
みんな違って、みんな良い 2021年9月5日 聖霊降臨節第16主日
ヤコブの手紙2章1~5節
行動は変えられる 2021年8月29日 聖霊降臨節第15主日
ヤコブの手紙1章22~27節