東京都渋谷区富ヶ谷にある教会です。「ベテル」は「神の家」と言う意味です。聖書を大切にしています。

説教集

恵みを受ける 2021年10月19日 聖霊降臨節第22主日

イザヤ書53章10~11節
ヘブライ人への手紙4章14~16節
説教者:関義朗牧師

イエス様は私たち一人ひとりのために、そして私たちすべてのために父なる神に執り成してくださる唯一の大祭司です。神から憐れみを受け、恵みにあずかり、時宜にかなった助けをいただくためには、イエス様にしっかりつながっていれば良いのです。
私たちは信じるにしてもいろんなものを信じたほうが恵みが大きくなる、あるいは早く願いが叶うと誤解しがちですが、私たちを造り、この世界を治めておられるキリスト・イエス様に祈ることだけで十分なのです。キリストの執り成しに信頼して、信仰告白を唱えながら、喜んで恵みの座に進み出て、恵みをいただこうではありませんか。
私たちはこの世の矛盾や不条理の真っ只中で、キリスト・イエス様と出会います。そして私たちはイエス様と共に、この世にあって神の国の現実を生きていくのです。そこには神の恵みと憐れみがあり、時宜にかなった助けが与えられます。

 

神は知っておられる 2021年10月12日 聖霊降臨節第21主日

箴言14章24~27節
ヘブライ人への手紙4章12~13節
説教者:関義朗牧師

恐れや迷いの中にある時、キリストはその人に相応しい御言葉に出会わせて慰め、励ましてくださいます。一方、誘惑に陥り、邪な考えを持った時、キリストは厳しい言葉で叱責します。世界を創造された神の御前では、どんな被造物も隠れることはできず、その心の中まで見通されます。
うまく隠し通して死んだと思っても、陰府にまで降られたキリストから逃れることはできません。いつ罪が明かされるかとびくびくして一生を終え、ようやく死んですべてが終わりだと思っても、死後に裁きが待っているのです。悔い改めるより他に罪から逃れる方法はありません。
神の言葉に聞き従い、神の安息にあずかりましょう。罪の誘惑は私たちをこの安息から引きずり出し、神を忘れさせようとしますが、私たちは神の安息の中にとどまり、憩おうではありませんか。
神の言葉は私たちを生かしてくれます。私たちの魂の隅々を満たし、罪の誘惑を退けてくれます。

 

主の食卓を囲む 2021年10月3日 聖霊降臨節第20主日・世界聖餐日

創世記2章18~24節
ヘブライ人への手紙2章5~13節
説教者:関義朗牧師

聖餐とは主なる神の食卓に招かれて共に食事をすることで、その主人はキリスト・イエス様です。私たちはそこで主にあってひとつであることを知ります。聖餐には安息と平安があります。

紛争と暴力がはびこり主の平和が実現していない現実を見て、キリストがこの世界を支配しておられることを忘れてしまっては、私たちは絶望するよりほかありません。この世界には破れがあり、私たちは弱く力のない存在ですが、キリストは決してこの世の悪や罪に負けることはありません。

主は神の国の到来を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、私たちのために忍耐しておられるのです。

私たちは世界が分断されて、聖餐にすべての人が集えないことを痛みとして覚えつつ、聖餐を受け神の国に向かって歩みを進めていきたいと思います。

 

分かち合う喜び 2021年9月26日 聖霊降臨節第19主日

民数記11章25~29節
ヤコブの手紙5章1~6節
説教者:関義朗牧師

今から30年ほど前、日本がバブル景気に沸いていた頃に、ある富豪は「自分が死んだらゴッホとルノワールの絵をお棺に入れて一緒に焼いてくれ」と言って世界中からひんしゅくを買いました。この金持ちには、名画は人類の財産であるという意識がありませんでした。傲慢な金持ちはこんな当たり前のことが分らなくなるのです。このように金持ちの蓄えているものが罪の証拠となったのです。傲慢で自己中心的な金持ちは主にある交わりを否定します。金儲けのためなら集団で悪を行うこともあります。世界中で起きている資源や食料を奪い合う紛争はこの事を示しています。

ヤコブが糾弾している傲慢な金持ちを私たちも糾弾し、搾取され苦しめられている人々と共にありたいと思います。すべての人が生きていて良かったと思える人生を送ることができるように、私たちは分かち合う喜びの生活を目指しましょう。お金とは比べ物にならないほどの価値のある「神と隣人との交わり」を求め、神が愛してくださった無償の愛を分かち合いたいと思います。

 

あなたにはキリストがいる 2021年9月19日 聖霊降臨節第18主日

イザヤ書53章1~6節、ヤコブの手紙3章16節~4章3節
説教者:関義朗牧師

人間には利己心や妬みの心があります。この心は人間が神から離れ、心の中に忍び寄って来た罪によるものです。ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあります(ヤコブ3:16)。

イザヤ書53章にはキリスト受難の預言が書かれています。神の僕は軽蔑され、無視され、刺し貫かれたのですが、それは人々が神に背いた罪を担ってのことだったことを人々は知りました。

私たちはねたみや利己心の誘惑に襲われます。だから誘惑から救い出してくださるように、主に祈らなければなりません。キリストは私たちに知恵を与えてくださいます。妬みや利己心をキリストに委ねて、平和のうちに義の実を蒔きたいと思います。

私たちはそれぞれが自己中心になることなく、キリストを信じて、忍耐強く主にある交わりの輪を広げていきましょう。

 

キリストが促してくださる 2021年9月12日 聖霊降臨節第17主日

イザヤ書50章5~9節、ヤコブの手紙2章14~18節
説教者:関義朗牧師

使徒パウロや宗教改革者ルターは、「人はキリストを信じる信仰によってのみ救われる」と教えました。それでは人はキリストを信じれば良い行いをしなくても良いのでしょうか。これがヤコブの手紙が示した問題提起です。

パウロもルターも「人は信仰によって正しい人と認められ、霊によって良い行いをするように変えられる」と説いています。良い行いを積み上げても主に正しいと認められることはありませんが、キリストを信じる信仰によって人は義とされ、各人の自由において良い行いをするように変えられるのです。

キリストが私たちのために無償の愛をもって私たちを救い出されたように、私たちも愛をもって他の人々を助ける行いをしたいと思います。愛の行動としてキリストに促されてこのことをしていくのは喜びです。救われたのだから何もしなくて良いのだという誤った信仰に陥ることなく、私たちは無償の愛によって良い行いを為していきたいと思います。

 

みんな違って、みんな良い 2021年9月5日 聖霊降臨節第16主日

イザヤ書35章4~7節
ヤコブの手紙2章1~5節
説教者:関義朗牧師

汚らしい服装の貧しい人(ヤコブ2:2)が来た時、私たちの信仰は試されます。私たちが感覚的に抱く嫌悪感を越えてその人と接することは信仰がなければできません。出会う人は自分と同じくキリストをかしらとする体の一部なのだと信じるならば、どのような外見であろうとも私たちはその人を差別することなく接するでしょう。イザヤ書35章には主が貧しい人々や弱い人々、そして劣悪な土地でさえも豊かにされるという神の国のイメージが語られています。

私たちは皆、それぞれ違っていて、それぞれが良いのです。それぞれの人に主がお与えになった役割があり、主はそれぞれの人を祝福されています。一人ひとりの違いが生かされてこそ、共に生きる社会が実現します。

私たちは、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じて、人を分け隔てせずに、神の国を先取りする教会を目指したいと思います。

 

行動は変えられる 2021年8月29日 聖霊降臨節第15主日

申命記4章5~8節
ヤコブの手紙1章22~27節
説教者:関義朗牧師

ヤコブの手紙にある「御言葉を行う人になりなさい」とは生活に困窮している人々を助け、支援すること(27節)です。イエス様は、ご自分が世に来られたのは貧しい人に福音を告げ知らせるためである(ルカ4:18)と言われました。

もし支援を必要としている人がいれば遠慮なくそのことを神である主に訴え、人々に支援を求めてください(列王記下4章)。それも行動することです。

御言葉を聞くとき眼前には主なる神がおられます。もしその時に自分の前に自分の顔があるように思って聞いていれば御言葉は心に入ってきませんから、人は行動を変えることはありません。

主の御前で御言葉を聞き、黙想することで、御言葉が心にスッと入ってきて、私たちは奉仕の行動をする者へと変えられるのです。困窮の人々や抑圧されている人々は叫び声を上げるようになり、助ける力がある人々は支援の行動をおこなうようになるでしょう。

 

互いに仕え合う 2021年8月23日 聖霊降臨節第14主日

ヨシュア記24章14~18節
エフェソの信徒への手紙5章21~32節
説教者:関義朗牧師

本日のエフェソの信徒への手紙の箇所でパウロが伝えたかったことは、キリストと信徒の群れである教会の関係、そして信徒同志の関係です。パウロは「私たちはキリストの体の一部」(30節)だから、「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」(21節)と勧めています。人間の体の各部分がそれぞれ働いて一人の人であるように、私たちはキリストを「かしら」とする一つの体の部分として働いて神の民となるのです。

主が無償の愛によって私たちを愛して(ヨハネ3:16)、私たちに仕えてくださったように(マルコ10:45)、私たちも互いに愛し、互いに仕えましょう。

私たちが互いに仕え合う思いを持ち続ければ、幾多の失敗や困難を乗り越え、私たちは分かれていてもひとつの体として働くようになります。失敗しても悔い改めて主に赦しを請うならば、主はお赦しになり、私たちを傷や汚れのないものへと変えてくださいます。

 

キリストの勝利 2021年8月15日 聖霊降臨節第13主日(終戦の日)

詩編110編1~7節
コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章20~28節
説教者:関義朗牧師

平和は聖書ではシャロームと言い、これはこの世界全体の基盤となる正しい秩序のことです。私たちはこのシャロームを求めて祈り、働きたいと願います。

しかしこの世界の紛争を眺めれば、平和など存在しない、だから現実に折り合いをつけて生きていくのが賢い生き方だ思われるかもしれません。主に従った弟子たちも主が十字架で死なれた後に、そのような思いになって元の生活に戻ろうとしました。

主は死の三日後に復活され、弟子たちに再臨の時にはシャロームが全うされる神の国が実現することを悟らせてくださいました。これこそ死にも打ち勝つキリストの勝利です。

私たちは死が終わりではなく通過点であるという希望を与えられました(Ⅰコリ15:20)。私たちは死の虚しさや恐怖そして、生の虚しさを無力にしてくださった主を信じて、召される時まで、置かれた場所でできることを精一杯することでシャロームを実現する働きに参加していきたいと思います。それが充実した人生なのです。

 
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