東京都渋谷区富ヶ谷にある教会です。「ベテル」は「神の家」と言う意味です。聖書を大切にしています。
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年別アーカイブ:2021年

高ぶる思いを鎮める神 2021年6月20日 聖霊降臨節第5主日

ヨブ記38章4~11節
コリントの信徒への手紙二5章14~17節
説教者:関義朗牧師

ヨブは敬虔な人でした。それでも、ヨブは親友と議論する間に神を知っているという高ぶる思いを持ってしまいました。神はそのことを指摘し、ヨブを叱りました。高ぶる思いはどのようにしたら鎮めることができるでしょうか。

コリントの信徒たちには高ぶる思いがあり、教会は論争に明け暮れていました。パウロはこの信徒たちにキリストの十字架を思い出させました。キリストが私たちのためにどれほどの無償の愛で私たちを愛されたかを覚えるならば、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きるしかなくなります。

高ぶる思いはキリストの十字架の愛によって鎮められ、人は新しくされます。この世界は人間同士が所有権を争っていますが、世界の全ての所有者は神であります。人は神に許された領域を知りそれに満足することを覚えなければなりません。そうすれば神は私たちを祝福し、私たちにも、この自然にも豊かなものを与えてくださるでしょう。

 

子どもを守るイエス様 2021年6月13日 こどもの日(花の日)

申命記11章13~21節
マルコによる福音書5章35~43節
説教者:関義朗牧師

子どもを放任することも、親の夢を実現する手段とすることも子どもを愛しているとは言えません。子どもを愛し、教え諭すということを主なる神はどのように語っているでしょうか。

主はすべての人に対して「私の戒めに聞き従い、主である私を愛し、仕えるならば、あなたたちは祝福される」と言われます(申11:13-18)。主は、出エジプトやキリストの十字架と復活に象徴されるように、私たちを徹底的に愛し、社会や人の内部にある罪の束縛から救い出して自由にしてくださいます。その主を愛し、仕えることは私たちが自由であることの保証なのです。主はこのことを私たちの経験を通して、子どもに教え、いつでも語り聞かせなさいと命じます。

イエス様が少女の手を握って生き返らせた出来事(マルコ5:35-43)から、イエス様は子どもを大切にし守っておられることがわかります。子どもはこのような主を一途に愛するのです。私たちはこの主に倣い、子どもを愛し、私たちに現れた主の恵みを教えたいと思います。

 

命の水を運ぶ 2021年6月7日 聖霊降臨節第3主日

出エジプト記24章3~8節、
マルコによる福音書14章12~16節
説教者:関義朗牧師

除酵祭は出エジプトを記念して一週間行われるお祭りで、その初日に過越の食事をします。イエス様は過越の食事の準備のために弟子たちに「水がめを運んでいる男に出会うから、その人について行きなさい。」と言われました。水がめを運ぶ人というのは実に象徴的です。その人について行けば、主はあなたが望むことをきちんと用意してくださるというメッセージです。

ある人は過酷な環境の中で生きていたにもかかわらず、主に「ゆるし」を執り成す人生を送りました。自分の都合より神の都合を優先する人の周りには「平和」がありました。この人たちは出会った人々に神の御心を届け、望むことが用意されているところに連れて行ってくれる人たちでした。無名の人々が主の御心を生きていることを覚えます。

私たちは人生の中で「水を運ぶ人」に出会わせていただき、私たちもまたそのような人にならせていただきたいと願います。主の御心を行う人は幸いです。

 

父と御子と聖霊なる神 2021年6月1日 聖霊降臨節第二主日・三位一体主日

申命記4章39~40節
ローマの信徒への手紙8章14~17節
説教者:関義朗牧師

人は経験や能力で神を知ることはできません。神の方から預言者にご自身を現わされ、私たちを導かれました。そして御子イエス様がこの世に遣わされてからは聖霊が私たちに神を指し示し、父、子、聖霊の愛の中に入れてくださいました。

私たちは朽ちる存在でありながら、神の養子とされ、神の性質を受け継ぐものとさせていただきました。神の子となったとは超能力を身につけたとか、罪を犯さなくなったということではありません。それは無償の愛、消えることのない希望、そして永遠の命を受け継いだということです。財産や地位や格式では人は満たされません。上には上があってどこまでも不足を感じ、一方でそれらを失う不安に怯えなければなりません。

私たちは相変わらずおっちょこちょいで、言葉が足りず、自分勝手ですが、それにもかかわらず神の相続人として柔和でいられるのです。

 

真理の聖霊 2021年5月25日 聖霊降臨日・教会創立記念日

使徒言行録2章1~11節
ヨハネによる福音書16章12~15節
説教者:関義朗牧師

今日は聖霊降臨記念日、そしてベテル教会創立記念日です。聖霊降臨は約2000年前に起きた出来事、ベテル教会の創立は69年前に起きた出来事で、この二つの出来事には関係があります。聖霊降臨は弟子たちが福音を宣べ伝え始めた出来事だからです。

聖霊降臨は激しい風、雷のような大きな音、炎のような舌といった表現で表されています。これらは神である主がそこにおられたことを暗示しています。弟子たちは聖霊を受けていろいろな国の言葉で主なる神の偉大さを語りました。

ベテル教会創立から9年目にこの地に会堂が建てられ、献堂式がおこなわれました。会堂の真の所有者である主は人々を会堂に招いています。そして聖霊が私たちに降り、主の無償の愛(アガペー)を私たちに注ぎ続けておられます。だから私たちは喜びをもって主を礼拝し、証し続けて行くことができるのです。

 

キリストは天に 2021年5月16日 復活節第7主日・主の昇天記念礼拝

使徒言行録1章1~11節
マルコによる福音書16章14~20節
説教者:関義朗牧師

別れは悲しいことですが、新しい出会いが待っています。新しい出会いによって、私たちは新しい自分に気づき、人生が豊かになっていきます。

イエス様が天に上げられたことは、福音宣教の業が使徒たちに委ねられた出来事でした。主は私たちの目には見えなくなってしまいましたが、父なる神の右でこの世界を掌っておられます。
主は使徒たちや私たちを突き放して宣教の業に送り出すのではありません。今でも主が先頭に立って私たちを用いて救いの業を推し進められています。

私たちは主の恵みを語らずにはいられません。それを語る時、私たちは喜びに満たされるのであります。私たちは奴隷のように語らさせられるのではなく、聖霊に満たされて、私たちに現わされた主の言葉と業を語らずにはおれません。宣教の業はどんな困難や無関心があろうとも進められていきます。

 

母の愛と神の愛 2021年5月10日 復活節第六主日・母の日

レビ記19章1~3節、マタイによる福音書12章46~50節
説教者:関義朗牧師

母の日は教会で始まりました。母の日のきっかけとなった女性は教会学校で長年、多くの子どもたちを愛し、主のことを伝えていました。この女性は子どもたちの母でした。肉親でなくても子どもを愛し、主のことを伝える女性は母なのです。

 

本日のレビ記19章3節には『父と母とを敬いなさい。』と書かれています。その理由は「私たちが聖なる者になるため」(2節)です。一人ひとりが聖なる者となるだけでなく、信仰共同体(教会)が聖なる者となるように命じています。教会は多くの「母」や「父」が子どもたちに主を伝える場所です。

 

たとえ肉親であっても子どもに愛情を注がず、神を指し示さない人よりも、子どもたちに愛をもって接し、神を指し示す人、すなわ天の父の御心を行う人が母であり父や兄弟姉妹です(マタイ12:50)。教会ではそのような人たちを敬い、またそのような人たちは敬われるのです。

 

豊かな人生の鍵 2021年5月3日 復活節第5主日

使徒言行録9章26~31節、
ヨハネによる福音書15章1~8節
説教者:関義朗牧師

イエス様は『わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。』と教えられました。この「豊かな」とは「神の無償の愛で心が満たされていること」です。ぶどうの枝がぶどうの木から栄養をもらって大きくて甘い実をつけるように、私たちはイエス様から神の無償の愛をもらって豊かに満たされます。この愛は私たちが自然に持っている「人を好きになる愛」を超えるもので、人がそれをつくり出すことはできません。この愛が私たちの霊を強め、豊かな人生を与えてくれるのです。

実際には私たちは欲望から自由ではなく乏しくさせられています。しかし今は誘惑に負けても、イエス様につながって神の愛を注いでいただき続けるなら、その人は欲望から自由になっていき、満ち足りた豊かな人生を歩むことが出来ます。

 

良い羊飼い 2021年4月27日 復活節第4主日

使徒言行録4章8~12節
ヨハネによる福音書10章11~18節
説教者:関義朗牧師

イエス様が言われる「良い羊飼い」とは羊の面倒をよく見てあげる人という意味ではなく、羊のことを良く知っていて愛している人です。これは神であると私たちの関係を比喩として表しています。私たちは主を必要としていますが、主も私たちを愛する対象として必要としてくださっています。私たちは居ても居なくても良い存在ではなく、主が必要としてくださる存在なのです。この関係において主は私たちを徹底的に守ってくださいます。

使徒ペトロは旧約聖書を引用して、は建物の一番基礎の石であると譬えました。主は十字架で死なれたけれどもよみがえられて、今もこの世界におられます。

この主以外に救いはありません。救われるためには主だけではなく、お金も食べ物も支援してくれる人も、あれもこれも必要だ、といろいろと駆け回っても得るものはありません。主を信じ、主の救いにあずかることが、救われて自由になる道なのです。

 

平安があるように 2021年4月19日 復活節第3主日

使徒言行録3章13~19節、
ルカによる福音書24章36~48節
説教者:関義朗牧師

人は心と体の健康が保たれ、霊が強められて、はじめて充実した日々を送ることが出来ます。そこに脅威や不安があると霊が弱まり、心が病んでいき、それが体にも表れてきます。

イエス様が十字架にかけられて死なれた後の弟子たちの状態もそのようであったことでしょう。家の外に出れば周りは自分たちを捕らえようとしている人たちばかりといった状況で家の中に潜んでいました。そこに復活したイエス様が来て「あなた方に平和があるように」と語りかけられました。

今の私たちは、多少は外を出歩くことが出来ていますが、状況はこの時の弟子たちと似ています。復活は容易には信じられない出来事ですが、これを信じるならば主なる神が共にいて守り導いてくださるということが、その人にとって真実のものとなります。私たちは信じる者へと変えられるように祈りたいと思います。キリストはこの祈りに応えて、平安をお与えになります

 
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