東京都渋谷区富ヶ谷にある教会です。「ベテル」は「神の家」と言う意味です。聖書を大切にしています。
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年別アーカイブ:2020年

啓示の光 2020年12月28日 降誕節第1主日

創世記21章1~4節
ルカによる福音書2章22~35節
説教者:関義朗牧師



私の家には木彫りの壁かけが飾られていて、そこには「キリストはこの家のかしら/すべての食事の見えざる客/すべての会話の黙せる聞き手」という言葉が刻まれています。ある知人がこれを読んで「怖い」と言いました。何か目に見えない恐ろしいものが傍にいるという恐怖を感じたらしいのです。

その時には言葉をかけることができなかったのですが、後になって「キリストは人を愛して共にいてくださるから頼れる存在だよ」と説明しました。

キリストは人としてこの世に来られました。それがイエス様です。神がこの世界に人として来られる、ということは人間には想像することができない出来事です。イサクの誕生もそうです。

人は自分の経験や常識で自分の周りのことを理解しようとしますから、このようなことは啓示を受けなければ知ることはできません。老預言者シメオンは赤ちゃんのイエス様を見て、啓示を受けました。イエス様にまことの平和を見い出したのです。

どうぞ良いクリスマスと新しい年をお迎えください。

 

さあ行こう 2020年12月24日 クリスマスイブ燭火賛美礼拝

イザヤ書62章11、12節、
テトスへの手紙2章11~15節、
ルカによる福音書2章15~20節
説教者:関義朗牧師

昔の少年たちが描いたクリスマスの切り絵です。色タイルを使って描かれています。これはベテル教会の1階に展示されています。



 

飼葉桶に眠る御子 2020年12月20日 クリスマス礼拝

イザヤ書9章1~6節
ルカによる福音書2章1~14節
説教者:関義朗牧師

クリスマスおめでとうございます。今年は新型コロナウイルス感染症に明け暮れた年でした。このような時期にクリスマスを迎える意味を聖書の御言葉に聞きたいと思います。

預言者イザヤがイザヤ書9章1~6節で告げた預言の言葉は今から約2000年前に成就しました。イエス様が生まれた家畜小屋には静かさと貧しさの中に暖かな愛とまことの平和がありました。ローマ帝国の力の平和の中にあって、まことの平和の象徴として、御子は貧しい場所で生れ、粗末な飼葉桶の中でお眠りになりました。名誉とも権力とも財産とも全く無縁の、ひとりの赤ちゃんとしてお生まれになったからこそ、私たちは恐れることなくお傍に行って「イエス様」と呼びかけることができます。天使がマリアに告げたイエスというお名前は「主は救い」という意味です。

感染拡大の中にあるクリスマスは、私たちの周りにある恐れ、不安、息苦しさ、貧困、交わりの喪失、分断を超えて、私たちにまことの平和を与えてくれます。私たちはこの御子なる神が飼葉桶に眠る御子として示されたまことの平和の内にいましょう。

 

信仰の力 2020年12月13日 待降節第3主日

イザヤ書61章1、10、11節
ヨハネによる福音書1章19~28節
説教者:関義朗牧師

イザヤ書61章1節には、貧しい人、心が壊れた人、捕らわれ人を開放し自由にするメシアが現れることが預言されています。10節は救い主到来の預言に対して人々が主を讃える賛美の言葉であり、11節は救われ解放されて自由になった人々が恵みと栄誉を与えられるという預言が記されています。

この預言はイエス様がこの世に来られて成就しました。洗礼者ヨハネは自分は荒れ野の声(ヨハ1:23)であると言い、救い主がすでに到来していることを人々に告げました(ヨハ1:26)。

私たちはイエス様を信じる信仰によってどのような状況になっても、解放、自由、そして喜びを得て、神の栄光を讃えることができるようになりました。主が私たち一人ひとりと共にいてくださるからです。この世で価値があると思われている富、地位、健康などはすべてその人から過ぎ去ります。

主のご降誕を待ちつつ、この1週間を過ごし、喜びと共にクリスマス礼拝を迎えたいと思います。

 

執り成すキリスト 2020年12月8日 待降節第二主日

イザヤ書59章17~21節
ローマの信徒への手紙16章25~27節
説教者:関義朗伝道師

新型コロナウイルスの感染者が急激に増加しており、医療体制の逼迫が報じられています。このような時、人は自己中心的になりがちです。

バビロン捕囚から帰還した人達も困窮と混乱の中、先が見えない状況にありました。預言者イザヤは「救われないのは主の力が及ばないのではなく、あなたたちが主を遠ざけているからだ」、と裁きの言葉を告げました。しかし裁きの言葉を告げた後、執り成してくださるお方が来られることを告げました(イザ59:17-21)。困窮や不安の中でも主を覚えることこそ救いにつながることを教えられます。私たちの命は主からのものだからです。主は贖い主として来られ、私たちの罪を執り成してくださいます。

コロナ禍の今、私たちが安全を求めることに汲々とすることなく、私たちに出来る感染防止策をおこない、後は主に委ねる日々を送り、お互いの交わりを豊かなものにしたいと思います。クリスマスを待ち望みましょう。

 

主の来臨を待つ 2020年11月30日 待降節第1(降誕前第4)主日

イザヤ書2章1~5節
マタイによる福音書24章36~44節
説教者:関義朗伝道師

写真家の桃井和馬さんの本に『希望へ! -人間は何をしてきたのか?悲劇の現場をめぐって-』があります。彼は環境問題や紛争の場所に出かけて、そこでの出来事を写真と文章で報告しています。どの事柄も深刻で人間の罪の深さを感じてしまいます。絶望的な状況は人々が来るべき審判のことを考えない無頓着さの中にあります(マタ24:37-39)。

主がいつ来られても良いように目を覚ましている、すなわち主の教えに従って日々を送らなければなりません(マタ24:42)。それは私たちを豊かな充実した人生に導きます。

絶望的に見える現実の中に主の業が行われており、終わりの日には主が来られて全ての人を裁きます。その後に主の平和が全地を満たし、主の光が人を照らして、人は自分の状況を知り、自分に求められているものが何であるかを知るようになるのです(イザ2:2-5)。

イエス様のご降誕の記念日であるクリスマスを待ちわびるように、キリストが再び来られる日を待ち望みましょう。

 

まことの王 2020年11月22日 降誕前第五主日・収穫感謝日

ミカ書2章12~13節
黙示録19章11~16節
説教者:関義朗伝道師

毎年、年末になると演奏される曲にヘンデルのメサイアがあります。一番有名な歌がハレルヤコーラスですが、この中で「王の王、主の主」(黙19:16)が歌われています。主なる神は王の中の王、まことの王です。この王は「イスラエルの残りの者」(ミカ2:12)を集め、守ってくださいました。今も、キリスト者を集め、守り、御言葉によって養ってくださっています。

そして黙示録は天に昇られたキリストが再び来られるときの幻を記しています(黙19:11-16)。キリストは再び来られて御言葉によって迫害者や抑圧者を裁き、神の国を完成させてくださいます。

キリスト者は日本の中では「残りの者」ように力無い者に見えます。しかし、まことの王である主に依り頼んで希望を失いません。

クリスマスを待ち望むことは、キリストの再臨を待ち望むことでもあります。旧約の民は救い主を待ち望みました。現代の私たちはまことの王であるキリストの再臨を待ち望みます。

 

預言者 2020年11月16日 降誕前第六主日

申命記18章15~22節
使徒言行録3章19~26節
説教者:関義朗伝道師

出エジプトを導いたモーセは預言者として立っています。預言者は人々が主に求め、それを主が聞き入れて立てられた人です。聖書には預言者たちが権力者から命を狙われ、迫害を受けたことがいろいろな個所に書かれています。

イエス様はこの世界で預言者としてもお働きになりました。パウロはそのことを証ししています(使3:20-24)。イエス様は「時は満ち、神の国は近づいた。」(マコ1:15)と語りました。これこそ私たちに与えられた預言であり福音(喜びの訪れ)です。それは世界中のすべての人に解放をもたらす言葉です。

預言者である救い主イエス様のご降誕を記念する日が近づいています。私たちにイエス様が与えられたことの喜びはどれだけ言葉を尽くしても言い表すことはできません。それでも私たちはこの喜びを言葉や絵や音楽やダンスなど色々な方法で表現せずにはおられません。このイエス様のご降誕の喜びの記念日をご一緒に待ち望みましょう。

 

神は呼んでいる 2020年11月8日 降誕前第7主日

創世記13章14~18節
ガラテヤの信徒への手紙3章7~14節
説教者:関義朗伝道師

神はすべての人をご自分のもとに招こうとされています。それは「アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶため」(ガラ3:14)というパウロの言葉に表わされています。

神は、ご自分の言葉を聞いて従ったアブラハムのように(創12:1-4、13:14-18)、神の言葉を聞いて人生を歩む人を祝福し救いにあずからせてくださいます。私たちはただ主なる神を信じるだけで、神の祝福を受けることができます。

律法という神が与えた規律を守るのは祝福してもらう条件ではなく、祝福に対する私たちの応答です。してはいけないと分かっていることをしてしまうことがあっても、悪い思いを抱くことがあっても、神を信じ清くしてくださいと祈るならば神は私たちを祝福してくださいます。

神の独り子であるイエス様が人となられて私たちに神の国の福音を伝え、十字架と復活によって祝福への道を開いてくださいました。

 

堕落の誘惑 2020年11月2日 降誕前第8主日

イザヤ書44章9~11節
マタイによる福音書23章25~36節
説教者:関義朗伝道師

イエス様が断罪した律法学者たちとファリサイ派の人々は律法を守って聖い者であることを誇り、自分たちを神の側に置く傲慢の罪を犯していました。この人々は自分の生き方を顧みることなく、心の中に造った自分を神とする偶像(アイドル)を拝んでいて、神の言葉に聞き従ってはいませんでした。

私たちはイエス様が『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』(マタイ5:44)と命じる言葉を聞く時、きっと自分たちが彼らの側にいることを思い知らされるでしょう。

私たちが神の御言葉を聞くならば生き方を変えずにはおられません。しかし私たちが心の中に偶像を造るならば、神の御言葉は聞こえなくなってしまい、傲慢な生き方を続けることでしょう。それは堕落へと私たちを誘い、間違っていることさえ気づかなくなります。神の御言葉に聴き従うならば、私たちは偶像を求めて堕落する誘惑から解放され、平安な日々を送ることができます。

 
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