申命記27章9~26節
あなたがたがヨルダン川を渡ったなら、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ヨセフ、ベニヤミンは、民を祝福するために、ゲリジム山の側に立ちなさい。ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリは、民を呪うために、エバル山の側に立ちなさい。(12、13節)

黙想:
聖書を読み進めていると意味が分からないところに出会います。無理にわかろうとせず、分からなくても先に進むことが大切です。何度も読むうちに分かって来るものです。

さて、モーセは、半分の部族はゲリジム山の側に立って祝福を、残り半分はエバル山の側に立って呪いを言うように命じました。この2つの山はシェケムの谷を挟んで向かい合っています。

人は祝福だけでは道を外れてしまうことを主なる神はよくご存じです。道を外れないように呪いも言うようにされました。

一寸先は闇ということわざがありますが、今をどう生きるかは示されています。人はその道を、道を外れる怖さを知りつつ歩いていけば良いのです。

今日も主の祝福をお祈りいたします。