新型コロナウイルスには現在のところ特効薬がありません。懸命の治療が続けられていますが、感染した人が重症化して、亡くなる人がおられます。病で苦しんでいる人に主の癒しを、愛する人を召された人に主の慰めを祈ります。この現状は3世紀中ごろに地中海沿岸で起きたペスト流行と似ています。その当時、カルタゴの司教だったキプリアヌスはキリスト教信徒に向けて、『死は「おわり」ではなく「通過」であり、永遠を目指すこの世の旅路の「道順」である』ことを示しました。キプリアヌスの『死を免れないことについて』という文書からいくつかの言葉を引用します(聖句は聖書協会共同訳を引用しました)。
- 私達がこの世の嵐・旋風から引き上げられる時、永遠の安息の港・母港へと急ぎ、この世の死が完成する時、私達は不死に到達するのです。これこそ私達の平和であり、信頼に満ちた穏やかさです。これこそ堅固にして揺るぎなき永久不変の安らぎなのです。「しかし、私は再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。」(ヨハ16:22)
- 「私を愛しているなら、私が父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ」(ヨハ14:28)。主はこれによって、私達にとって親しい人々がこの世を去って行く時には、悲しむよりも、むしろ喜ぶべきことを、教え諭されたのです。
- 愛する兄弟達よ。むしろ私達は、健全な心と堅固な信仰、強固な徳を備えて、すべて神の御心に従う者となりましょう!
- 死の恐怖を退けて、死の後に続く「不死」について考えるようにしましょう!
- 親しい者の死を嘆き悲しむのではなく、また自分の召される日が到来した時には、私達を 呼び寄せて下さる主のみもとへ、ためらうことなく、喜んで行こうではありませんか。
この文章は本人や愛する人が病から回復することを諦めているのではありません。死の恐怖と絶望の中にある人々に希望と救いを与えるものです。東京都は都民に向け、「正しく恐れ、平常心をもって生活する」よう呼びかけています。東京都の呼びかけはキプリアヌス司教のメッセージに通じるものがあるように思います。すべての人が無暗に死を恐れるのではなく「感染しない、させない」の思いをもって共に病に立ち向かうことができますように主なる神に祈ります。