ヨブ記33章14~33節
その人は人々を見つめて言うだろう。「私は罪を犯し、正しいことを曲げた。それは私のすべきことではなかった。神は私の魂を贖い、穴に下らせないようにした。私の命は光を見る」と。(27,28節)
黙想
信仰は生きること、このことが間違って捉えられると教条的になります。「かくあるべき」は正義であるかのように弱い人々を絶望に追いやります。
エリフの言葉「神は悔いる者を御許に憩わせる」は教義の上では間違っていません。洗礼者ヨハネも「悔い改めよ」と人々に告げました。洗礼者ヨハネのところに来た人々は悔い改めたいと願っていた人々でした。
しかしエリフの前に横たわっているヨブは想定外の事態に見舞われ、苦しみ悲しんでいます。エリフに必要なことはヨブを無償の愛で愛することなのです。
今日も主の祝福をお祈りいたします。