ヨブ記31章24~40節
もし、私が光を放つ太陽と照らして行く月を仰いでひそかに私の心が惑わされ、私の手がそれらに口づけを送ることがあったならば、これもまた、裁判で罰せられることだ。私が高みにおられる神を否んだからである。(26~28節)
 
黙想
ヨブは「自分は傲慢にならず、主以外の神を拝んだことはなく、隣人愛をもって人に接した。もしそうでないなら天上の裁判で罰せられる」と答えました。ヨブの心は真っ直ぐに主に向かっています。
 
私たちは病や不幸に遭うと、これは神の罰ではないかと思ってしまいますが、神の罰はそのようなものではないことを知らされます。聖書は神の罰を「命の書から消し去られる」と表現し、それは滅ぼされてしまい生きていた痕跡が消されてしまうほどのものであることを示しています。私たちが恐れるものは病や死や人間ではなく、神さまです。
 
しかしこの神さまは愛です。恐ろしさは人が生き方を誤らないためであり、神に立ち帰る者を帰って来た放蕩息子を赦す父のように赦してくださいます。今日も主の祝福をお祈りいたします。