ヨブ記17章6~16節
私の望みは一体どこにあるのか。誰が私の望みを見つけるだろうか。(15節)
 
黙想
私たちは残念ですが、他者の心の奥にある悲しみを理解することはできません。ヨブの友はヨブを助けたいと、彼らが考える助けを差し伸べますが、ヨブには何の慰めにもなっていません。
 
彼らはヨブの苦しみに寄り添っていないで評論家的です。これが人間の限界です。人を超える存在に目を向き直さない限り、限界を超えることはできません。
 
ヨブは神に向き直り、神に訴えます。これは悔い改め(神に向き直る)です。神を知識の対象とするのではなく、対話の相手としています。「望みはどこにあるのですか」と神に訴えています。そして神はその訴えをお聞きになっておられます。
今日も主の祝福をお祈りいたします。