詩編15編1~5節
主よ、誰があなたの幕屋にとどまり、聖なる山に宿ることができるのでしょうか。それは、全き道を歩み、義を行い、心の中で真実を語る者。(1,2節)
 
黙想
人は利己的な生き方をしてしまいます。心は主が示す人生を歩みたいと願いながらも、損得で判断する人生を歩んでしまいます。この詩を書いたダビデも罪を犯しました。それでもダビデは神である主がおられる幕屋にとどまり、聖なる山にいたいと願いました。
 
神である主は私たちを求めて「どこにいるのか」(創世記3:9)と呼びかけています。それに応えるように、主と共にいたい、全き道を歩ませてください、義を行わせてください、真実を語る者にならせてくださいという祈りがこの詩に表わされています。
 
現実の自分を省みて希望を失うのではなく、主と共にいたいという願いと希望を持ち続けて、主が示された道を歩みたいと願います。
今日も主の祝福をお祈りいたします。