出エジプト記33章1~11節
雲の柱が幕屋の入り口に立つのを見ると、民は全員起立し、おのおの自分の天幕の入り口で礼拝した。(10節)
黙想:
神である主を見ることはできませんが主がおられるしるしは見ることができます。聖書には雲の柱や火の柱という表現でそれが表されています。
十字架もその一つです。十字架そのものに霊力があるわけではありません。私たちはそれを見る時に主の言葉と業とを思い起こすのです。主は聖書の御言葉を通していつも私たちに語りかけ、問いかけてくださいます。
具体的なモノに頼るのではなく、聖霊を求めるならば、私たちは主がそばにおられることを知り礼拝するように促されます。どのような困難の時にもこの信仰は揺るぐことがありません。今日も主の祝福をお祈りいたします。