出エジプト記3章13~22節
神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名、これこそ、世々にわたしの呼び名。(15節)
黙想
モーセは神の命令を自分のような逃亡者が果たせるとは思わなかったので、しるしを求めました。黄門の印籠のような神さまのしるしがあれば誰でもモーセの言葉を信じるでしょう。
しかし神が与えたのは神のお名前でした。それは「私はある」という存在を示す言葉でした。人の名前とはまったく違う、存在そのものが神の名なのです。モーセはそのしるしを受けてエジプトのファラオのもとに赴くことになります。
モーセにとってそのしるしはどんなものにも勝る確かなしるしでした。目に見えるしるしではなく神の名こそがその存在を示すしるしなのです。
今日も主の祝福をお祈りいたします。