マタイによる福音書20章1~16節
主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。(13,14節)

黙想:
ほとんど働かなかった人と1日中働いた人の賃金が同じなのは不公平と考えるのは、拘束時間に対して対価を払うという考えに基づいていると思います。それに対してぶどう園の主人は一人ひとりと対価について話をして人を雇いましたから、働く時間に関係なく同じ賃金を支払いました。この主人は働きたくても雇ってもらえず1日のほとんどを待つことに費やした人のことを知っていました。

この譬から、逆に、家事や育児やボランティアや闘病といった対価をもらわない働きも労働だということを教えられるように思います。実はお金とは違う対価をもらっているのです。それに気づけばどのような働きも無駄ではないことを知ることができます。

今日も主の祝福をお祈りいたします。