マタイによる福音書2章13~23節
ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。(23節)
黙想
独裁者は自分が倒されることを恐れ、安全になるためならどんなことでもすることを私たちは歴史を通して知っています。犠牲になった多くの人々のことを思わずにはいられません。
しかし救い主はこの世界のただ中にすでに来られたのです。それは神の国の始まりです。独裁者がどんなに暴力を振るおうとも、歴史の主である神の御旨を覆すことはできません(イザヤ書8章10節)。
だから主が再び来られ、神の国が世界を覆うことを望みつつ日々を歩むことは喜びです。
今日も主の祝福をお祈りいたします。