ダニエル書11章20~35節
これらの指導者の何人かが倒されるのは、終わりの時に備えて練り清められ、純白にされるためである。まだ時は来ていない。(35節)
 
黙想:
力や権力は、ある地域を制圧し、人々を苦しめることがあっても、主なる神に従いそれに立ち向かう人々が現れます。最初は数が少なく力も弱いのですが、その人達は諦めることなく言葉と行動で立ち向かいます。
 
その人々は力に倒されるのですが、それは終わりではありません。終わりの時、主が再臨される時に備えて清められるのです。殉教は敗北ではなく、勝利でもなく、主を証しするものです。殉教者を覚える理由はここにあります。
 
今日も主の祝福をお祈りいたします。