テサロニケの信徒への手紙一・5章1~11節
信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。(8、9節より)

黙想
キリスト者が身につけるものは信仰と愛と希望です。これらによって私たちは攻撃に耐え、自らの信仰を人々に示すことができます。

神は私たちを試練に遭わせますが、それは私たちを訓練するためです。怒りによって滅ぼそうとされるのではなく、主イエス様に出会わせるためです。主は私たちの救い主です。このお方を信じて慎んで生活する中に喜びがあります。

このことは多くの先達がその人生をもって証ししてくれました。あなたも私もその人々に連なる神の民です。今日も主の祝福をお祈りいたします。