ローマの信徒への手紙2章17~29節
内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく霊によって心に施された割礼こそ割礼なのです。そのような人は、人からではなく、神から誉れを受けるのです。(29節)
黙想:
キリスト者にとって今日の個所は洗礼を受けていても神の教えである律法を破れば洗礼を受けていないのと同じだと受け止めたいと思います。洗礼はキリストに倣って神の教える生き方をすることを決心した人が受けるもので、旧い自分が死に新しく生まれ変わることです。内面がキリスト者である人こそキリスト者であり、文字ではなく霊によって心に施された洗礼こそ洗礼だと覚えたいと思います。洗礼を受けることは他人を見下すことではなく、より良い人生を送ることであり永遠の命に至る道を歩くことです。今日も主の祝福をお祈りいたします。