ヨハネによる福音書10章31~42節
「もし、私が父の業を行っていないのであれば、私を信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、私を信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父が私の内におられ、私が父の内にいることを、あなたがたは知り、また悟るだろう。」(37、38節)
黙想:
ある人が、私は神の子だというなら、人は胡散臭い顔をしてその人を見るでしょう。人が神であるということはあり得ないことです。
しかし歴史上、ただ一度だけ神が人として現れました。それがイエス様です。
イエス様は「私が行っている業が聖書に記された業であると信じるならば、私が父なる神と一体であることを悟るだろう」と話しました。
聖書を神の言葉と信じている人達にはイエス様の言葉は理解できるはずのものでした。
しかしイエス様が人としてこの世界にいる間はだれもこのことを理解できませんでした。イエス様が神の御子であることを悟ったのは復活した後でした。
現代の私たちには新約聖書が与えられています。現実のイエス様を見ることなくイエス様は神の御子であることを知ることができます。
今日も主の祝福を祈ります。