ヨハネによる福音書6章1~15節
イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。(11節)

黙想:
僅かなものしかないという意識は私たち誰もが持っていると思います。

もっと「体力があれば」、「健康があれば」、「お金があれば」、「働き手がいれば」できるのにできない、という思いです。

何もないわけではないがそれでは足りないという思いは私たちを行動へとは促しません。

イエス様は僅か5つのパンと2匹の魚を父なる神に感謝し、それを集まった人々に分けました。

そうするとすべての人が満たされたのです。

これは私たちが僅かなものと思っているものでもそれを感謝し、信じて用いることの大切さを教えています。

僅かと思っているものから変化が始まります。

今日も主の祝福を祈ります。

日にちが変わろうとする時に追加の書き込みをしています。
人が出来ることには限界があります。
限界以上に頑張れば疲れて続きません。
私たちがやろうとしている善いことはすでに神が行われているに違いありません。
その神の働きに参加させてもらうという意識であれば、人間的に考えて僅かなことしかできなくても、その先もまた神が担ってくださっていると信じ、委ねることができると思います。
僅かなものを用いられるのは神であり、人はその働きに参加するのだと思います。