ヨハネによる福音書1章43~51節
ナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。(46節)

黙想:
常識はある社会のメンバーが共有し前提として疑わない認識のことで、社会で暮らすには必要なことです。

学ぶというより身に着くものだと言えます。

しかしそれは真理とは時として相違するものです。

ナタナエルは常識で考え、フィリポは自分の目で確かめるよう促しています。

ナタナエルはフィリポが「自分で見なさい」と言った言葉に促されてイエス様に出会いそのことを確信しました。

今、私たちはイエス様を見ることは出来ませんが、聖書を通して出会うことができます。

どうぞ近くの教会に行ってイエス様に出会ってください。

今日も主の祝福を祈ります。