レビ記4章22~35節
「共同体の代表者が犯した罪に気づいたときは、献げ物として無傷の雄山羊を引いて行き、その頭に手を置き、主の御前にある焼き尽くす献げ物を屠る場所でそれを屠る。」(22~24節より)

黙想:
国や官庁などの代表者も神に仕える人と同じく罪を犯す存在であることを自覚していれば、そして罪を犯したときに贖ってもらえることを知っていれば、無暗に自分を正当化しないでしょう。

一般の人も同じです(27~35節)。

主なる神の戒めを破り罪を犯した時は主に赦してもらい、もし人を傷つけていたらその人にも赦しを乞うことで、心が軽くなります。

主に再び祝福してもらえるからです。

儀式には意味があります。私たちが食べる牛、豚、鶏なども人が屠り処理をして売り場に並ぶことを覚えたいと思います。

今日も主の祝福を祈ります。