フィリピの信徒への手紙3章12~21節
「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。」(20節)
黙想:
パウロは人々に主イエスに従うよう勧め、自分自身も全身全霊で従いました。
しかしそのパウロ自身が「信仰に基づいて神から与えられる義」を得たという訳ではないと告白しています。
パウロほど情熱を傾け主を宣べ伝えた人がいまだに約束されたものを得ていないし完全な者ではないと告白しているのを聞くと私たちは安心します。
一方、パウロはそれが与えられることを信じて疑いませんでした。
私たちは完全な者ではないことを恥じることはありません。
主が私たちを完全な者にならせてくださることを信じて人生の歩みを進めることができます。
今日も主の祝福を祈ります。