東京都渋谷区富ヶ谷にある教会です。「ベテル」という名前はヘブライ語で 「神の家」と言う意味です。聖書を大切にしています。

説教集

まことの王 2020年11月22日 降誕前第五主日・収穫感謝日

ミカ書2章12~13節
黙示録19章11~16節
説教者:関義朗伝道師

毎年、年末になると演奏される曲にヘンデルのメサイアがあります。一番有名な歌がハレルヤコーラスですが、この中で「王の王、主の主」(黙19:16)が歌われています。主なる神は王の中の王、まことの王です。この王は「イスラエルの残りの者」(ミカ2:12)を集め、守ってくださいました。今も、キリスト者を集め、守り、御言葉によって養ってくださっています。

そして黙示録は天に昇られたキリストが再び来られるときの幻を記しています(黙19:11-16)。キリストは再び来られて御言葉によって迫害者や抑圧者を裁き、神の国を完成させてくださいます。

キリスト者は日本の中では「残りの者」ように力無い者に見えます。しかし、まことの王である主に依り頼んで希望を失いません。

クリスマスを待ち望むことは、キリストの再臨を待ち望むことでもあります。旧約の民は救い主を待ち望みました。現代の私たちはまことの王であるキリストの再臨を待ち望みます。

 

預言者 2020年11月16日 降誕前第六主日

申命記18章15~22節
使徒言行録3章19~26節
説教者:関義朗伝道師

出エジプトを導いたモーセは預言者として立っています。預言者は人々が主に求め、それを主が聞き入れて立てられた人です。聖書には預言者たちが権力者から命を狙われ、迫害を受けたことがいろいろな個所に書かれています。

イエス様はこの世界で預言者としてもお働きになりました。パウロはそのことを証ししています(使3:20-24)。イエス様は「時は満ち、神の国は近づいた。」(マコ1:15)と語りました。これこそ私たちに与えられた預言であり福音(喜びの訪れ)です。それは世界中のすべての人に解放をもたらす言葉です。

預言者である救い主イエス様のご降誕を記念する日が近づいています。私たちにイエス様が与えられたことの喜びはどれだけ言葉を尽くしても言い表すことはできません。それでも私たちはこの喜びを言葉や絵や音楽やダンスなど色々な方法で表現せずにはおられません。このイエス様のご降誕の喜びの記念日をご一緒に待ち望みましょう。

 

神は呼んでいる 2020年11月8日 降誕前第7主日

創世記13章14~18節
ガラテヤの信徒への手紙3章7~14節
説教者:関義朗伝道師

神はすべての人をご自分のもとに招こうとされています。それは「アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶため」(ガラ3:14)というパウロの言葉に表わされています。

神は、ご自分の言葉を聞いて従ったアブラハムのように(創12:1-4、13:14-18)、神の言葉を聞いて人生を歩む人を祝福し救いにあずからせてくださいます。私たちはただ主なる神を信じるだけで、神の祝福を受けることができます。

律法という神が与えた規律を守るのは祝福してもらう条件ではなく、祝福に対する私たちの応答です。してはいけないと分かっていることをしてしまうことがあっても、悪い思いを抱くことがあっても、神を信じ清くしてくださいと祈るならば神は私たちを祝福してくださいます。

神の独り子であるイエス様が人となられて私たちに神の国の福音を伝え、十字架と復活によって祝福への道を開いてくださいました。

 

堕落の誘惑 2020年11月2日 降誕前第8主日

イザヤ書44章9~11節
マタイによる福音書23章25~36節
説教者:関義朗伝道師

イエス様が断罪した律法学者たちとファリサイ派の人々は律法を守って聖い者であることを誇り、自分たちを神の側に置く傲慢の罪を犯していました。この人々は自分の生き方を顧みることなく、心の中に造った自分を神とする偶像(アイドル)を拝んでいて、神の言葉に聞き従ってはいませんでした。

私たちはイエス様が『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』(マタイ5:44)と命じる言葉を聞く時、きっと自分たちが彼らの側にいることを思い知らされるでしょう。

私たちが神の御言葉を聞くならば生き方を変えずにはおられません。しかし私たちが心の中に偶像を造るならば、神の御言葉は聞こえなくなってしまい、傲慢な生き方を続けることでしょう。それは堕落へと私たちを誘い、間違っていることさえ気づかなくなります。神の御言葉に聴き従うならば、私たちは偶像を求めて堕落する誘惑から解放され、平安な日々を送ることができます。

 

恐るべき主 2020年10月25日 降誕前第九主日

箴言8章22~29節
マタイによる福音書10章26~31節
説教者:関義朗伝道師

世界は私たちが生まれる前から存在しているので、私たちは水や空気などは、あって当たり前のものと思っていますが、これらがなければ私たちは生きていくことができません。まさに私たちは生かされています。

世界の始まりを見た人はいませんが神から啓示を受けた人はいました。それは創世記と箴言に記されています。父なる神は世界の創造に先だって独り子を生みだし(箴言8:22-29)、この世界を創造されました(創世記1:1-2:4)。

今や、新型コロナウイルス蔓延によって、不安や不信が広がり、これに乗じて差別や誘惑が私たちに迫っています。

私たちは人を恐れ、不安になるのではなく、世界を造り、滅ぼすことがお出来になる神を恐れなければなりません。恐れるとは神にのみ聞き従うことです。神は私たちを愛し、私たちを高価なものとしてくださっています(イザヤ書43:4)。神が私たちを愛し導いてくださっていることを信じる人は幸いです。

 

神の国を目指す 2020年10月18日 聖霊降臨節第21主日

エレミヤ書29章4~7節
フィリピの信徒への手紙3章12~21節
説教者:関義朗伝道師

人は信じるものを持たずに生きていくことはできません。聖書に「彼らは腹を神とする」(フィリ3:19)と書かれているのは、お金や財産や地位や健康といったものを求める信仰に他なりません。何を信ずべきかが問題なのです。キリスト者は父・子・聖霊の三位一体の神を信じています。この神は世界を創造し、歴史を導き、私たちに働きかけておられます。

パウロはフィリピの信徒に手紙を書いた時、牢獄にいました。不自由な状態で、食事も衣服も粗末な物でした。いわば「負け組」に属する人でした。しかしパウロはそのようなことを眼中にも入れず、獄中にあっても「目標を目指してひた走りました」(フィリ3:14)。これは、聖書を読み、祈りつつ、自分にできる神さまの手伝いを続けることであり、喜びに溢れることです。私たちがなすべきことはただ一つ(フィリ3:13)、このことなのです。

わたしたちの本国は天にあります(フィリ3:20)。だから安心して、この世にあって平安を祈り(エレ29:7)、堅実に生活し、自分にできる奉仕を続けることができます。そのような生き方こそ、この世の富を持つことに優る、心満たされる大きな喜びです。

 

神に喜ばれる人 2020年10月12日 聖霊降臨節第20主日

ダニエル書12章1~4節
コリントの信徒への手紙二・5章1~10節
説教者:関義朗伝道師

現代では、死は語られず見られることなくタブー化され、人々は強く死を恐れるようになりました。しかし、死を遠ざけようとしても、それは必ず訪れます。

使徒パウロは「地上の住みか」と「天の住みか」という言葉で、永遠の生について語っています。私たちはこの世で重荷を負って苦労するばかりではなく、永遠の命を約束された希望に生きています。聖霊の神は、このことの保証(Ⅱコリ5:5)です。

パウロは、この世で生きるにしても、神の国で生きるにしても、「ひたすら神に喜ばれる者でありたい」(Ⅱコリ5:9)と私たちに伝えています。このように、死を前にしても私たちの希望は消えません。死は終わりではなく通過点なのです。

死への恐れは神を信じ、神が私たちをよみがえらせてくださることを信じることで消え去ります。私たちはただひたすら神に喜ばれる者、すなわちキリストに倣う者として生きていきたいと思います。

 

ひとつの体、ひとつの霊 2020年10月5日 聖霊降臨節第19主日・世界聖餐日

イザヤ書25章6~9節
コリントの信徒への手紙一10章14~22節
説教者:関義朗伝道師

世界聖餐日は世界中のキリスト者が主の食卓につくことによって、一致し、互いに認め合うことを願って始められました。
一番大切なことは、聖餐はイエス様が制定されたことだということです(ルカ22:19)。使徒パウロは「私たちが神を賛美する賛美の杯はキリストの血に与ることであり、私たちが裂くパンはキリストの体に与ることだ」(Ⅰコリ10:16)と書いています。この<与る>というのは原語では<交流する>という意味ですから、キリストと交流するということ、つまりキリストに結ばれて一つとなることを意味します。祈りによって聖別されたパンとぶどう液からキリストの愛が伝わってきます。


偶像(今日的には財産、名誉など)ではなく、神を信頼する信仰は聖餐によって与えられます(Ⅰコリ10章)。私たちの顔を覆っている布のようなベールが除かれ、神が支配している世界が見えてきます(イザヤ25:6-9)。

世界中で行われる聖餐式によって私たちが国や制度をこえてキリストにつながるものであることを覚え、紛争や飢餓や病気で苦しんでいる人々がいなくなるように祈り、またそのような世界となるように働きを与えられたいと思います。

 

主が住まうところ 2020年10月2日 聖霊降臨節第18主日

歴代誌下7章11~16節
エフェソの信徒への手紙3章14~21節
説教者:関義朗伝道師

人は誰でも心の中にその人だけの風景を持っています。その風景は<その人がその人であるところのもの>と言っても良いと思います。エンデの小説「モモ」で、女の子モモは自分の中の時間の源(みなもと)を映像として見ました。この風景は人と共有することができないものですが、もしその風景を一緒に見て、その中を一緒に歩いていく人がいれば、人生はとても楽しいものになるでしょう。

使徒パウロは「あなた方の心の中にキリストが住む」ようにと祈りました。イエス様は私たちの心の中にお住まいになり、その風景の中を一緒に歩いてくださいます。キリスト者はすでに神の宮です。私たちが神に従うならば、私たちの心の中にイエス様が住んでくださっていることを覚えることができます。

イエス様は私たちが願ったり、思ったりすることを遥かに超えて導き、支えてくださいます。このお方に信頼を寄せて毎日を喜びをもって過ごしてまいりたいと思います。

 

神のしもべ 2020年9月22日 聖霊降臨節第17主日

エレミヤ書50章1~5節
ペトロの手紙一 2章11~17節
説教者:関義朗伝道師

キリスト者は「この世の制度や職務に従い、神のしもべとして行動し、自由な人として生活しなさい」(Ⅰペト2:16)と勧告を受けています。これは善を行うことが神の御心(同2:15)だからです。この世の制度やそれを動かす職務の人々が神の御心に適う働きをしているならばキリスト者や教会がその人々に従うことは当然のことです。

しかしその人々が神の御心を行っていないならば、キリスト者は神に従い悪と対峙することが必要となります。過去に多くのキリスト者が悪と対峙し、殉教によってその信仰を表わしました。

神はバビロニア国を用いてユダ国を裁かれましたが、その国も神の御心を行わなかったために裁かれました(エレ50:1~5)。神に従わなければ栄華を極めようとも破滅が訪れます。

キリスト・イエスによって与えられた自由な心をもって神の御心を求め、それに従いたいと思います。

 
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