東京都渋谷区富ヶ谷にある教会です。「ベテル」という名前はヘブライ語で 「神の家」と言う意味です。聖書を大切にしています。

説教集

主の言葉に従う 2019年9月8日 聖霊降臨節第14主日

出エジプト記23章10~13節
ローマの信徒への手紙14章1~9節
説教者:関義朗伝道師

パウロは信仰の強い人達に「信仰の弱い人を受け入れなさい。」(ロマ14:1)と勧告し、信仰の弱い人達に「信仰の強い人を裁かないように、侮辱しないように。」(ロマ14:10)と勧告しています。信仰の強い人達はキリストの救いのみに信頼している人達であり、信仰の弱い人達はキリストの救いの他に食物規定や安息日・安息年規定を厳格に守ることで信仰を保つ人たちでした。安息年は、土地は神のものであり大切にしなければならないことを人に教えるものです。規定に書かれていることを守ることが大切なのではなく、神との関係において規定を守ることが大切です。

パウロはどちらの信仰の人も受け入れなさいと勧告しています。私たちの心は信仰的に強くなったり弱くなったりしますが、そのどちらも受け入れるよう勧めています。

イエス様は権力者・死・罪・律法の支配から私たちを自由にし、神の支配の下に私たちが良心に従って、共に生きていくことを可能にしてくださいました。誰からも支配されず、支配することなく、共に主にあって平等の人として助け合うことができるようにしてくださいました。イエス様はご自分を信じていない人のためにも命をささげられました。イエス様はパウロの勧告を完全に行うことができない私たちの弱さや限界もご存じの上で、私に従いなさいと言われます。

 

み言葉を行う人 2019年9月3日 聖霊降臨節第13主日

アモス書5章24節
ヤコブの手紙1章19~25節
説教者:関義朗伝道師

アモス書には「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ」という言葉が書かれています。人が考える正義はどうしても他の人を裁くものになってしまいます。神の正義は神が人と結んだ契約に書かれています。「み言葉を行う」とはこの契約を守ることです。人には十戒が与えられました。十戒は私たちを主なる神に結びつけ、あらゆる隷属から解き放つものです。これを完全に守ることができなくても守る努力をするのは、救われたことに対する応答です。

「恵みの業」とはイエス様がおこなった救済の出来事であり、福音宣教のことです。福音は言葉だけで伝えるのではなく、キリスト者一人ひとりの生き様として主を証ししていくことです。

御言葉には私たちの生き方を変えさせる力があります。人は生き方を変えると、御言葉に従った生活を送るようになります。何事にも縛られず活き活きとした生活を送ることは福音の証しです。

 

キリストは再び来られる 2019年8月25日 聖霊降臨節第12主日

エゼキエル書12章26~28節
テサロニケの信徒への手紙一 5章16~24節
説教者:関義朗伝道師

エゼキエル書12章には「幻」という言葉が何度も出てきます。これはビジョンという意味で、主なる神が預言者に託した言葉やイエス様が弟子たちに告げた言葉のことです。イスラエルの人々は捕囚の苦しみの中にある時に、主はビジョンを先延ばしにされて実現しないと考えてしまいました。しかし主はエゼキエルを通して、それは引き延ばされず実現されると告げました。ここにキリストは再び来られるというビジョンを私たちが信じる根拠があります。

その時に備えるということは、いつも喜び、たえず祈り、どんなことにも感謝する生活を送ることです。たえず祈るとは手を止めて特別に祈るだけではなく、普段の生活の中で主と対話することであり、このことにより私たちの心は満たされ、喜び、感謝へと向かいます。

キリストが再び来られる時は終末と呼ばれますが、恐れることはありません。主は聖霊の火によって一人ひとりから罪や咎を除き去り、非のうちどころのない者にしてくださいます。

 

喜ぶ人、泣く人と共に 2019年8月19日 聖霊降臨節第11主日

出エジプト記22章20~26節
ローマの信徒への手紙12章9~15節
説教者:関義朗伝道師

見返りを求めない愛(アガペー)は偽りがありません。この愛は主なる神が私たちすべてに贈り物として与えてくださっています。使徒パウロはこの愛をもとにして私たちがどのように生きていくかを教えました。それは12の勧告として書かれています。そのうちの一つ、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という勧告は神から一人ひとりに与えられたアガペーの愛を他者に渡し、共に生きていくことです。

戦後74年間の平和をさらに堅固なものにするのは、喜んでいる隣人と共に喜び、泣いている隣人と共に泣くことです。隣人とはお隣さんであり、隣国の人々であり、世界中の人々です。戦争中の傷を抱えて苦しんでいる人、人権を回復してほしいと叫んでいる人たちは泣いています。原発事故で苦しんでいる人も泣いています。主はこの人達と、共に喜ぶ日が来る日を信じて、共に泣くことを勧めています。

 

キリスト者の希望 2019年8月11日 聖霊降臨節第10主日

列王記上19章9~13節
ペトロの手紙一 3章13~17節
説教者:関義朗伝道師

キリスト者の希望とはどのようなものでしょうか。

列王記上19章には預言者エリヤが命を狙われ、死にたいと思いつつも、神に祈り、神と交流することを諦めなかったことが記されています。そうすると微かな神の声が聞こえてきました。エリヤが神は自分に寄り添っておられると信じていたことに希望がありました。

使徒ペトロは彼の手紙で、希望について説明できるようにすることを勧めています(3章15節)。キリスト者の希望は神と共に生きること、復活を信じること、そして神の国で財産を受け継ぐ者とされたことを信じることです(1章3節)。希望の根拠は神にあります。この希望はどのような時にも消えることはありません。

強制収容所の出来事を綴った「夜と霧」という本には、『人は強制収容所に人間をぶち込んですべてを奪うことができるが、たったひとつ、与えられた環境でいかに振舞うかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。』という文があります。私たちが主とつながり、主に信頼するからこそ、この自由が与えられ、希望を持ち続けることができるのです。

 

すべての人に平和を 2019年8月4日 聖霊降臨節第9主日 平和聖日

エレミヤ書29章10~14節
テモテへの手紙一 6章11~16節
説教者:関義朗伝道師

平和聖日にあたり過去の出来事に学びながら平和について考えたいと思います。

戦時下の治安維持法は国体の否定および神宮・皇室の尊厳の冒涜を禁止し、それを根拠に政府は思想統制をおこないました。それは天皇を主より上に置くように強制することでした。それで当時のキリスト者は主の御言葉に従い平和を宣べ伝えることと戦争協力の狭間で苦しみました。

聖書が教える平和は『戦争の原因となる肉体的、精神的、性的な直接的暴力や、貧困や差別、格差などの構造的暴力を取り除き戦争がない状態とすること』です。力の平和は均衡が崩れれば戦争に発展する脆い平和です。主は戦争を力で抑え込んで見せかけの平和を維持するのではなく、戦争の原因となるものを取り除くためにこの世に来られました。主は万物を創造された唯一の神であり、その言葉こそ平和を実現させるものです。

私たちは主なる神の御言葉に従い、御言葉が教える平和の実現に参加し、戦争につながる直接的暴力や構造的暴力を無くすことに貢献したいと願います。

 

おだやかな心 2019年7月29日 聖霊降臨節第8主日

サムエル記上24章17~18節
ガラテヤの信徒への手紙6章1~2節
説教者:関義朗伝道師

遠足に行った記憶は誰しも持っていると思います。皆で楽しく歩いていくと、歌を歌いたくなります。道を間違えたら誰かが連れ戻し、綺麗な景色の所では立ち止まってそれを眺めるというのは楽しいことです。

ガラテヤの信徒への手紙で使徒パウロは神と歩く道から外れた人をお互いに柔和な心で神に立ち帰らせるようにと勧告しています。ダビデはサウル王に心からの思いをもって進言しました(サムエル記上24章)。また互いに重荷を担いなさいと勧告しています。私たちは一人では持てない荷物も二人なら持てることを知っています。一人で主に従うよりも、互いに主に従う方がはるかに楽で、楽しいことです。ちょうど皆で遠足に行くようなものです。

律法全体は「隣人を自分のように愛しなさい」というキリストの律法(教え)によって成し遂げられます。これがパウロの勧告の元になっている教えです。共に生きるからこそ隣人を愛することができます。

インターネットは便利ですが孤独を助長します。高齢者は生活の支援を受け、若い人は人生経験を戴くといった関係が回復される時が来るでしょう。互いに励まし合いながら、神と共に人生を歩んでいきたいと思います。

 

いのちの回復 2019年7月21日 聖霊降臨節第7主日

エレミヤ書38章4~10節
使徒言行録20章7~12節
説教者:関義朗伝道師

人は突然の病、事故、倒産、解雇、離婚など「まさか!」と言いたくなるような出来事に遭遇します。これは3階から突然転落したエウティコのように、謂わば人生における転落です。そのような時、転落から必死に這い上がろうとあらゆることを試みる人、絶望に打ちひしがれる人、怨みを持つ人など色々な人がいると思います。

エウティコ転落の物語から分かることは、転落した者は何もできないということです。彼/彼女は死んでいます。それを助けたのは使徒パウロでした。パウロがしたことは神に祈り、彼を抱きかかえ、また神に祈るということだったと考えられます。つまり転落した人間が何かをするのではなく、その人を助ける人が神によって起こされ、転落している人を救い出すのです。

人生において転落を経験したら、心を騒がせず、主に助けを求めたいと思います。そうすれば主は必ず助け手を与えてくださいます。その助け手によって、いのちの回復が起こります。

 

み言葉は世界に広がる 2019年7月14日 聖霊降臨節第6主日

ルツ記1章15~18節
使徒言行録11章11~18節
説教者:関義朗伝道師

統計によると、現代日本では子どもの7人に1人、老人の5人に1人、シングル女性の3人に1人が貧困だそうです。貧困は個人の努力が足りないからだと主張する人たちがいます。しかし個人の努力と関係なく、病気やケガで働けなくなったり、会社が倒産するなどして突然収入がなくなって貧困に陥ることだってあるのです。

ルツは外国人でしたが主なる神を信じました。それは姑のナオミが主なる神の教えに従って生きていたからでした。その教えには民族や地域や血縁によらない普遍的な価値があります。例えば貧困者や難民のために畑の実りの一部を残しておくようにという戒めがあります(レビ23:22)。この戒めによって貧しい人も生きることができました。神のセーフティーネットです。

イタリア隊長のコルネリウスは使徒ペトロが語ったイエス様の証しを聞いて回心しました。それを見たペトロは外国人の彼に洗礼を授けました。

御言葉には人を変え、社会を変える力があります。このようにして御言葉は世界に広がりました。

 

すべての人を招く神 2019年7月7日 聖霊降臨節第5主日

エゼキエル書34章5~6節
使徒言行録8章26~38節
説教者:関義朗伝道師

使徒言行録に記録されたエチオピア人宦官の悲しみは健康な体を傷つけられ、子孫を残すことができない人間になってしまったことでした。ユダヤの律法では宦官は主なる神を信じていても神の民にはなれません。彼はエルサレムで高価な聖書の巻物を買い、帰りに馬車の中でそれを朗読していました。

そこに聖霊によって遣わされた使徒フィリポが走り寄って「お分かりになりますか」と話しかけました。宦官は「教えてくれる人がいなければ分かりません」と答えました。フィリポは彼が読んでいたイザヤ書の個所から始めて聖書を解き明かし、イエス様こそ救い主キリストであることを証しました。

イエス様は人間の悲しみや不安に神が寄り添うことを命を懸けてお示しになりました。それぞれの不安や悲しみをすべて知っていてくださるお方がいるというのは一番の安心です。「自分は自分らしくて良い」というのはその人を知っていてくれる存在があるから思えることです。そのお方はイエス・キリスト、このお方をおいて他にはおられません。

 
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