東京都渋谷区富ヶ谷にある教会です。「ベテル」という名前はヘブライ語で 「神の家」と言う意味です。聖書を大切にしています。

説教集

神の国を目指す 2020年10月18日 聖霊降臨節第21主日

エレミヤ書29章4~7節
フィリピの信徒への手紙3章12~21節
説教者:関義朗伝道師

人は信じるものを持たずに生きていくことはできません。聖書に「彼らは腹を神とする」(フィリ3:19)と書かれているのは、お金や財産や地位や健康といったものを求める信仰に他なりません。何を信ずべきかが問題なのです。キリスト者は父・子・聖霊の三位一体の神を信じています。この神は世界を創造し、歴史を導き、私たちに働きかけておられます。

パウロはフィリピの信徒に手紙を書いた時、牢獄にいました。不自由な状態で、食事も衣服も粗末な物でした。いわば「負け組」に属する人でした。しかしパウロはそのようなことを眼中にも入れず、獄中にあっても「目標を目指してひた走りました」(フィリ3:14)。これは、聖書を読み、祈りつつ、自分にできる神さまの手伝いを続けることであり、喜びに溢れることです。私たちがなすべきことはただ一つ(フィリ3:13)、このことなのです。

わたしたちの本国は天にあります(フィリ3:20)。だから安心して、この世にあって平安を祈り(エレ29:7)、堅実に生活し、自分にできる奉仕を続けることができます。そのような生き方こそ、この世の富を持つことに優る、心満たされる大きな喜びです。

 

神に喜ばれる人 2020年10月12日 聖霊降臨節第20主日

ダニエル書12章1~4節
コリントの信徒への手紙二・5章1~10節
説教者:関義朗伝道師

現代では、死は語られず見られることなくタブー化され、人々は強く死を恐れるようになりました。しかし、死を遠ざけようとしても、それは必ず訪れます。

使徒パウロは「地上の住みか」と「天の住みか」という言葉で、永遠の生について語っています。私たちはこの世で重荷を負って苦労するばかりではなく、永遠の命を約束された希望に生きています。聖霊の神は、このことの保証(Ⅱコリ5:5)です。

パウロは、この世で生きるにしても、神の国で生きるにしても、「ひたすら神に喜ばれる者でありたい」(Ⅱコリ5:9)と私たちに伝えています。このように、死を前にしても私たちの希望は消えません。死は終わりではなく通過点なのです。

死への恐れは神を信じ、神が私たちをよみがえらせてくださることを信じることで消え去ります。私たちはただひたすら神に喜ばれる者、すなわちキリストに倣う者として生きていきたいと思います。

 

ひとつの体、ひとつの霊 2020年10月5日 聖霊降臨節第19主日・世界聖餐日

イザヤ書25章6~9節
コリントの信徒への手紙一10章14~22節
説教者:関義朗伝道師

世界聖餐日は世界中のキリスト者が主の食卓につくことによって、一致し、互いに認め合うことを願って始められました。
一番大切なことは、聖餐はイエス様が制定されたことだということです(ルカ22:19)。使徒パウロは「私たちが神を賛美する賛美の杯はキリストの血に与ることであり、私たちが裂くパンはキリストの体に与ることだ」(Ⅰコリ10:16)と書いています。この<与る>というのは原語では<交流する>という意味ですから、キリストと交流するということ、つまりキリストに結ばれて一つとなることを意味します。祈りによって聖別されたパンとぶどう液からキリストの愛が伝わってきます。


偶像(今日的には財産、名誉など)ではなく、神を信頼する信仰は聖餐によって与えられます(Ⅰコリ10章)。私たちの顔を覆っている布のようなベールが除かれ、神が支配している世界が見えてきます(イザヤ25:6-9)。

世界中で行われる聖餐式によって私たちが国や制度をこえてキリストにつながるものであることを覚え、紛争や飢餓や病気で苦しんでいる人々がいなくなるように祈り、またそのような世界となるように働きを与えられたいと思います。

 

主が住まうところ 2020年10月2日 聖霊降臨節第18主日

歴代誌下7章11~16節
エフェソの信徒への手紙3章14~21節
説教者:関義朗伝道師

人は誰でも心の中にその人だけの風景を持っています。その風景は<その人がその人であるところのもの>と言っても良いと思います。エンデの小説「モモ」で、女の子モモは自分の中の時間の源(みなもと)を映像として見ました。この風景は人と共有することができないものですが、もしその風景を一緒に見て、その中を一緒に歩いていく人がいれば、人生はとても楽しいものになるでしょう。

使徒パウロは「あなた方の心の中にキリストが住む」ようにと祈りました。イエス様は私たちの心の中にお住まいになり、その風景の中を一緒に歩いてくださいます。キリスト者はすでに神の宮です。私たちが神に従うならば、私たちの心の中にイエス様が住んでくださっていることを覚えることができます。

イエス様は私たちが願ったり、思ったりすることを遥かに超えて導き、支えてくださいます。このお方に信頼を寄せて毎日を喜びをもって過ごしてまいりたいと思います。

 

神のしもべ 2020年9月22日 聖霊降臨節第17主日

エレミヤ書50章1~5節
ペトロの手紙一 2章11~17節
説教者:関義朗伝道師

キリスト者は「この世の制度や職務に従い、神のしもべとして行動し、自由な人として生活しなさい」(Ⅰペト2:16)と勧告を受けています。これは善を行うことが神の御心(同2:15)だからです。この世の制度やそれを動かす職務の人々が神の御心に適う働きをしているならばキリスト者や教会がその人々に従うことは当然のことです。

しかしその人々が神の御心を行っていないならば、キリスト者は神に従い悪と対峙することが必要となります。過去に多くのキリスト者が悪と対峙し、殉教によってその信仰を表わしました。

神はバビロニア国を用いてユダ国を裁かれましたが、その国も神の御心を行わなかったために裁かれました(エレ50:1~5)。神に従わなければ栄華を極めようとも破滅が訪れます。

キリスト・イエスによって与えられた自由な心をもって神の御心を求め、それに従いたいと思います。

 

福音を恥としない 2020年9月14日 聖霊降臨節第16主日

詩編1編1~3節
ローマの信徒への手紙1章16~17節
説教者:北原和夫牧師

使徒パウロは「福音を恥としない」とローマの信徒に書き送りました。これは「福音(キリスト)から離れることは私にはもう考えられない」ということです。
また「正しい者は信仰によって生きる」とは、「神に依り頼むことによって義とされた人は、その信仰によって、困難な状況の中で、耐え抜いて生きていくことができるのだ」という思いであり、預言者ハバククや使徒パウロの実体験からの確信なのです。

私は2001年9月に起こった同時多発テロ事件の頃、国際基督教大学に勤めておりました。テロ直後の礼拝には、留学生・日本人学生・教職員が会堂に溢れ、皆、涙しながら讃美歌「安かれ我が心よ。主イエスの共にませば、耐ええぬ悩みはなし。」を何度も歌い続けたのでした。

「神に依り頼むことによって義とされた人々は、その信仰によって、困難な状況の中で、ともに耐え抜いて生きていけるのだ」ということは、いまの混沌とした時代に生きる私たちを励まし、慰める言葉であります。

 

神の光を受けて 2020年9月6日 聖霊降臨節第15主日

出エジプト記13章17~22節
エフェソの信徒への手紙5章6~14節
説教者:関義朗伝道師

聖書では闇は恐れや不安を表わします。それぞれの人が人生に恐れや不安を抱いていることだと思います。コロナの流行によって実際に会って交流する機会が減って、孤独が深まっています。一人では恐れや不安を抱えきれなくなった時に精神状態が不安定になったり、将来を悲観したりする気持ちになっていきます。

その心の闇の深さや深刻さは他の人には推し量ることはできません。神を知らなければ私たちは孤独です。

しかし、イエス様の愛に触れるならば、恐れや不安を神に伝え、祈ることができるようになります。主は私たちを導いてくださっています(出13:22)。

心の闇は神を信じることによって晴れわたり、光が射してきます。そして心は光に満たされます。主を信じて主に従う人々は主に結ばれて光となっています(エフェ5:8)。私たちが恐れや不安を抱く時には、主に祈り、主に委ねて、その気持ちを解き放ちたいと思います。

 

神の国を受け継ぐ 2020年9月1日 聖霊降臨節第14主日

出エジプト記34章4~9節
ローマの信徒への手紙7章1~6節
説教者:関義朗伝道師

ある人が「自分は悪人である。死んで地獄・極楽があるのなら、自分は地獄行だろう、そうしなきゃ、この世の中のつじつまが合わないじゃないか。」と語りました。この人は強烈に自分の罪を意識しています。それに対して、ある聖職者は「復活」の話をしました。「復活とは、生きているうち、今すでに、神のいのちに生きることです。」と。悪人も善人もすべての人は、回心してキリストの贖いを信じれば、罪の体は死に、キリストの霊を受けて復活し、新しい生に生きることができるようになります。

律法はそれを与えた神の御心を知らなければ厳守すべき法律でしかありません。しかしキリストの贖いを信じて新しい生に生かされるならば、ちょうど大切な人との約束のように、律法は神との大切な約束であることを知り、私たちは律法を守るように自ら努力するようになります。

私たちはキリストの十字架と復活によって神との関係を正しい関係にしていただいたので、神の子とされました。霊に従う新しい生き方をするようになり、神の国の財産を引継ぐことを許されています。

(説教音声を聞くには下の黒枠長方形の左側の▷にカーソルを合わせ、マウスの左ボタンを押してください。)

 

成長させてくださる神 2020年8月23日 聖霊降臨節第13主日礼拝

ヨブ記28章23~28節
コリントの信徒への手紙一 3章1~9節
説教者:関義朗伝道師

「知恵とは主を畏れ敬うこと、分別とは悪を遠ざけること」(ヨブ28:28)。私たちは色々な価値観が主張される現代に生きていて、真の知恵と分別を知らず何が主の道かを見失いそうですが、イエス様は神と人とを愛することであると実にはっきりと示されました(マコ12:30-31)。これは人の力では成し遂げられませんが、イエス様が共にいてくださるので、そのような方向に成長する希望が与えられています

しかし教会やいろいろな団体で分派を作って論争してしまうことがあります。主なる神に従うのではなく指導者に従うならば分派は起こるべくして起きてしまいます。神の知恵と分別に従えば、私たちは神のもとにひとつになることができます。

多くの意見を聞いて神の御旨と思われる最善の考えに集約していくことこそが知恵と分別です。
主なる神はこのようにして私たちを神の民へと成長させてくださいます。

 

悪に打ち克つ信仰 2020年8月16日 聖霊降臨節第12主日

士師記6章11~16節
ヨハネの手紙一 5章1~5節
説教者:関義朗伝道師

平和を考える時、平和とは単に戦争がない状態と捉えるのでは不十分です。身分、財産、学歴、身体的・精神的特徴、信仰、出自などの違いを理由にして、力ある者が弱い者を差別する状態は平和とは言えません。

士師ギデオンの召命は強大な外敵による差別的な力による収奪からイスラエルの人々を救い平和を回復することでした。ギデオンは力を持っていませんでしたが、主が共におられたので、主なる神の力で外敵を追い出すことができました。

またキリスト教とは異なる異端の教えによって人々を惑わすのも平和を乱すものです。さらにキリストの教えを知らず、勝手な思い込みでキリスト教を差別するのも真の平和とはほど遠いものです。

これらの脅威から逃れるにはイエス様が父なる神の独り子の神であり、救い主キリストであると信じること以外にはありません。力によって悪に勝つのではなく、主なる神を信じる信仰によって悪に打ち克つ人は幸いです。

 
1 2 3 8 »

年別アーカイブ

  • facebook
PAGETOP
Copyright © 日本基督教団 ベテル教会 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.