東京都渋谷区富ヶ谷にある教会です。「ベテル」という名前はヘブライ語で 「神の家」と言う意味です。聖書を大切にしています。

説教集

来て、見てごらん 2021年1月17日 公現後第2主日

サムエル記上3章15~19節
ヨハネによる福音書1章35~42節
説教者:関義朗牧師

本日は召命について御言葉に聴きたいと思います。洗礼者ヨハネがイエス様を「神の小羊」(イザヤ書53章参照)と言ったのを聞いたアンデレともう一人はイエス様について行きました。二人はイエス様がどのようなお方かを知りたいと思ったのです。

イエス様は二人に「来て、見てごらん」(原典直訳)と言われました。この言葉は二人に行動することを促す言葉です。主を知りたいという願いは主の声に従うことで実現するということを教えてくださったのです。二人はイエス様について行き、イエス様の弟子となりました。ペトロ(岩)と呼ばれたアンデレの兄弟もアンデレの言葉に起こされてイエス様の所に行き、弟子となりました。サムエルも夢の中で主の呼びかけを聞き、養育者である祭司エリのもとへと行くことで、主の声を聞くことへと導かれました。

「来て、見てごらん」の言葉はキリストの招きの言葉です。その招きに応えて行動するならば、イエス様が神の独り子であり救い主であることを知り、神の無償の愛を体験するでしょう。

 

イエス様の洗礼 2021年1月12日 降誕節第三・公現後第一主日

イザヤ書55章8~11節
マルコによる福音書1章7~11節
説教者:関義朗牧師

イエス様が洗礼を受けられた時、天が裂け、霊が降り、声が響いたというのは、イエス様の洗礼が特別のものであったということを表しています。

私たちは神の子であれば奇跡を行うという風に思いがちですが、この思いはサタンによる誘惑です(マタイ4:1-11)。神の栄光が現わされる時にのみ、その出来事は奇跡であり、それを見た人達は神の臨在を知って悔い改めるようになります。

「私の心に適う者」(マルコ1:11)という天からの声こそが神の子の徴です。この言葉はイエス様の生涯を表わしています。イエス様が虐げられている人々と共におられ、高慢な者を裁き、受難の道を歩まれたのは神の御旨を行らわれたからであります。私たちも神の御旨を行う者として神の子と呼ばれます。

私たちは、今すぐこの世界から感染症が無くなってしまうようにと奇跡を求めるのではなく、神の御旨を求めつつ、日々忍耐をもって過ごしていく者でありたいと思います。

礼拝動画: https://youtu.be/-XjqmREKMEw

 

三博士の訪問 2021年1月4日 降誕節第二主日

イザヤ書60章1~6節
マタイによる福音書2章1~12節
説教者:関義朗牧師

クリスマスを喜ぶ喜びの中で、2021年が始まりました。今年も主と共に歩む信仰の生活を送ってまいりましょう。

イザヤ書60章1節には「起きよ、光を放て。」という言葉が記されています。それは「私たちを照らす光は昇り、主の栄光が私たちの上に輝く」からです。

ユダヤを含む中東の人々には世界を治める王が現れるという期待がありました。そして東方の三博士はそれを表わす星を見つけ出しました。それで彼らは星に導かれてベツレヘムに行き、幼子イエス様を見い出して礼拝しました。

コロナ災禍は自然現象と言えますが、人々は心の中に実際の恐怖よりはるかに大きな恐怖を抱き、それが差別や迫害といった分断を引き起こします。

三博士の訪問は現代の私たちの姿でもあります。私たちはイエス様を聖書の中に見出し、礼拝しています。そして今日もコロナ災禍によって弱っている心を強めていただき、希望をいただきました。主は私たちの希望の源なのです。

 

啓示の光 2020年12月28日 降誕節第1主日

創世記21章1~4節
ルカによる福音書2章22~35節
説教者:関義朗牧師



私の家には木彫りの壁かけが飾られていて、そこには「キリストはこの家のかしら/すべての食事の見えざる客/すべての会話の黙せる聞き手」という言葉が刻まれています。ある知人がこれを読んで「怖い」と言いました。何か目に見えない恐ろしいものが傍にいるという恐怖を感じたらしいのです。

その時には言葉をかけることができなかったのですが、後になって「キリストは人を愛して共にいてくださるから頼れる存在だよ」と説明しました。

キリストは人としてこの世に来られました。それがイエス様です。神がこの世界に人として来られる、ということは人間には想像することができない出来事です。イサクの誕生もそうです。

人は自分の経験や常識で自分の周りのことを理解しようとしますから、このようなことは啓示を受けなければ知ることはできません。老預言者シメオンは赤ちゃんのイエス様を見て、啓示を受けました。イエス様にまことの平和を見い出したのです。

どうぞ良いクリスマスと新しい年をお迎えください。

 

さあ行こう 2020年12月24日 クリスマスイブ燭火賛美礼拝

イザヤ書62章11、12節、
テトスへの手紙2章11~15節、
ルカによる福音書2章15~20節
説教者:関義朗牧師

昔の少年たちが描いたクリスマスの切り絵です。色タイルを使って描かれています。これはベテル教会の1階に展示されています。



 

飼葉桶に眠る御子 2020年12月20日 クリスマス礼拝

イザヤ書9章1~6節
ルカによる福音書2章1~14節
説教者:関義朗牧師

クリスマスおめでとうございます。今年は新型コロナウイルス感染症に明け暮れた年でした。このような時期にクリスマスを迎える意味を聖書の御言葉に聞きたいと思います。

預言者イザヤがイザヤ書9章1~6節で告げた預言の言葉は今から約2000年前に成就しました。イエス様が生まれた家畜小屋には静かさと貧しさの中に暖かな愛とまことの平和がありました。ローマ帝国の力の平和の中にあって、まことの平和の象徴として、御子は貧しい場所で生れ、粗末な飼葉桶の中でお眠りになりました。名誉とも権力とも財産とも全く無縁の、ひとりの赤ちゃんとしてお生まれになったからこそ、私たちは恐れることなくお傍に行って「イエス様」と呼びかけることができます。天使がマリアに告げたイエスというお名前は「主は救い」という意味です。

感染拡大の中にあるクリスマスは、私たちの周りにある恐れ、不安、息苦しさ、貧困、交わりの喪失、分断を超えて、私たちにまことの平和を与えてくれます。私たちはこの御子なる神が飼葉桶に眠る御子として示されたまことの平和の内にいましょう。

 

信仰の力 2020年12月13日 待降節第3主日

イザヤ書61章1、10、11節
ヨハネによる福音書1章19~28節
説教者:関義朗牧師

イザヤ書61章1節には、貧しい人、心が壊れた人、捕らわれ人を開放し自由にするメシアが現れることが預言されています。10節は救い主到来の預言に対して人々が主を讃える賛美の言葉であり、11節は救われ解放されて自由になった人々が恵みと栄誉を与えられるという預言が記されています。

この預言はイエス様がこの世に来られて成就しました。洗礼者ヨハネは自分は荒れ野の声(ヨハ1:23)であると言い、救い主がすでに到来していることを人々に告げました(ヨハ1:26)。

私たちはイエス様を信じる信仰によってどのような状況になっても、解放、自由、そして喜びを得て、神の栄光を讃えることができるようになりました。主が私たち一人ひとりと共にいてくださるからです。この世で価値があると思われている富、地位、健康などはすべてその人から過ぎ去ります。

主のご降誕を待ちつつ、この1週間を過ごし、喜びと共にクリスマス礼拝を迎えたいと思います。

 

執り成すキリスト 2020年12月8日 待降節第二主日

イザヤ書59章17~21節
ローマの信徒への手紙16章25~27節
説教者:関義朗伝道師

新型コロナウイルスの感染者が急激に増加しており、医療体制の逼迫が報じられています。このような時、人は自己中心的になりがちです。

バビロン捕囚から帰還した人達も困窮と混乱の中、先が見えない状況にありました。預言者イザヤは「救われないのは主の力が及ばないのではなく、あなたたちが主を遠ざけているからだ」、と裁きの言葉を告げました。しかし裁きの言葉を告げた後、執り成してくださるお方が来られることを告げました(イザ59:17-21)。困窮や不安の中でも主を覚えることこそ救いにつながることを教えられます。私たちの命は主からのものだからです。主は贖い主として来られ、私たちの罪を執り成してくださいます。

コロナ禍の今、私たちが安全を求めることに汲々とすることなく、私たちに出来る感染防止策をおこない、後は主に委ねる日々を送り、お互いの交わりを豊かなものにしたいと思います。クリスマスを待ち望みましょう。

 

主の来臨を待つ 2020年11月30日 待降節第1(降誕前第4)主日

イザヤ書2章1~5節
マタイによる福音書24章36~44節
説教者:関義朗伝道師

写真家の桃井和馬さんの本に『希望へ! -人間は何をしてきたのか?悲劇の現場をめぐって-』があります。彼は環境問題や紛争の場所に出かけて、そこでの出来事を写真と文章で報告しています。どの事柄も深刻で人間の罪の深さを感じてしまいます。絶望的な状況は人々が来るべき審判のことを考えない無頓着さの中にあります(マタ24:37-39)。

主がいつ来られても良いように目を覚ましている、すなわち主の教えに従って日々を送らなければなりません(マタ24:42)。それは私たちを豊かな充実した人生に導きます。

絶望的に見える現実の中に主の業が行われており、終わりの日には主が来られて全ての人を裁きます。その後に主の平和が全地を満たし、主の光が人を照らして、人は自分の状況を知り、自分に求められているものが何であるかを知るようになるのです(イザ2:2-5)。

イエス様のご降誕の記念日であるクリスマスを待ちわびるように、キリストが再び来られる日を待ち望みましょう。

 

まことの王 2020年11月22日 降誕前第五主日・収穫感謝日

ミカ書2章12~13節
黙示録19章11~16節
説教者:関義朗伝道師

毎年、年末になると演奏される曲にヘンデルのメサイアがあります。一番有名な歌がハレルヤコーラスですが、この中で「王の王、主の主」(黙19:16)が歌われています。主なる神は王の中の王、まことの王です。この王は「イスラエルの残りの者」(ミカ2:12)を集め、守ってくださいました。今も、キリスト者を集め、守り、御言葉によって養ってくださっています。

そして黙示録は天に昇られたキリストが再び来られるときの幻を記しています(黙19:11-16)。キリストは再び来られて御言葉によって迫害者や抑圧者を裁き、神の国を完成させてくださいます。

キリスト者は日本の中では「残りの者」ように力無い者に見えます。しかし、まことの王である主に依り頼んで希望を失いません。

クリスマスを待ち望むことは、キリストの再臨を待ち望むことでもあります。旧約の民は救い主を待ち望みました。現代の私たちはまことの王であるキリストの再臨を待ち望みます。

 
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