東京都渋谷区富ヶ谷にある教会です。「ベテル」という名前はヘブライ語で 「神の家」と言う意味です。聖書を大切にしています。

説教集

いのちの回復 2019年7月21日 聖霊降臨節第7主日

エレミヤ書38章4~10節
使徒言行録20章7~12節
説教者:関義朗伝道師

人は突然の病、事故、倒産、解雇、離婚など「まさか!」と言いたくなるような出来事に遭遇します。これは3階から突然転落したエウティコのように、謂わば人生における転落です。そのような時、転落から必死に這い上がろうとあらゆることを試みる人、絶望に打ちひしがれる人、怨みを持つ人など色々な人がいると思います。

エウティコ転落の物語から分かることは、転落した者は何もできないということです。彼/彼女は死んでいます。それを助けたのは使徒パウロでした。パウロがしたことは神に祈り、彼を抱きかかえ、また神に祈るということだったと考えられます。つまり転落した人間が何かをするのではなく、その人を助ける人が神によって起こされ、転落している人を救い出すのです。

人生において転落を経験したら、心を騒がせず、主に助けを求めたいと思います。そうすれば主は必ず助け手を与えてくださいます。その助け手によって、いのちの回復が起こります。

 

み言葉は世界に広がる 2019年7月14日 聖霊降臨節第6主日

ルツ記1章15~18節
使徒言行録11章11~18節
説教者:関義朗伝道師

統計によると、現代日本では子どもの7人に1人、老人の5人に1人、シングル女性の3人に1人が貧困だそうです。貧困は個人の努力が足りないからだと主張する人たちがいます。しかし個人の努力と関係なく、病気やケガで働けなくなったり、会社が倒産するなどして突然収入がなくなって貧困に陥ることだってあるのです。

ルツは外国人でしたが主なる神を信じました。それは姑のナオミが主なる神の教えに従って生きていたからでした。その教えには民族や地域や血縁によらない普遍的な価値があります。例えば貧困者や難民のために畑の実りの一部を残しておくようにという戒めがあります(レビ23:22)。この戒めによって貧しい人も生きることができました。神のセーフティーネットです。

イタリア隊長のコルネリウスは使徒ペトロが語ったイエス様の証しを聞いて回心しました。それを見たペトロは外国人の彼に洗礼を授けました。

御言葉には人を変え、社会を変える力があります。このようにして御言葉は世界に広がりました。

 

すべての人を招く神 2019年7月7日 聖霊降臨節第5主日

エゼキエル書34章5~6節
使徒言行録8章26~38節
説教者:関義朗伝道師

使徒言行録に記録されたエチオピア人宦官の悲しみは健康な体を傷つけられ、子孫を残すことができない人間になってしまったことでした。ユダヤの律法では宦官は主なる神を信じていても神の民にはなれません。彼はエルサレムで高価な聖書の巻物を買い、帰りに馬車の中でそれを朗読していました。

そこに聖霊によって遣わされた使徒フィリポが走り寄って「お分かりになりますか」と話しかけました。宦官は「教えてくれる人がいなければ分かりません」と答えました。フィリポは彼が読んでいたイザヤ書の個所から始めて聖書を解き明かし、イエス様こそ救い主キリストであることを証しました。

イエス様は人間の悲しみや不安に神が寄り添うことを命を懸けてお示しになりました。それぞれの不安や悲しみをすべて知っていてくださるお方がいるというのは一番の安心です。「自分は自分らしくて良い」というのはその人を知っていてくれる存在があるから思えることです。そのお方はイエス・キリスト、このお方をおいて他にはおられません。

 

確かな救い 2019年6月30日 聖霊降臨節第4主日

使徒言行録4章10~12節
申命記8章17~18節
説教者:関義朗伝道師

「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒言行録4章12節)

いったい誰が救われるべき人でしょうか。


使徒達はエルサレム神殿でペトロが足の不自由な男の人を癒したことについて議会で取り調べを受けました。ペトロは「イエス・キリストの名によるものです。ほかのだれによっても、救いは得られません」と答えました。直接はペトロが癒したのですが、自分たちの力ではないことをはっきりと示しました。

さて、いったい誰が救われるべき人でしょうか。この物語では足の不自由な人が救われるべき人でした。しかし、救う人と救われる人がいるのではありません。人間は自分の信じる何かにしがみつこうとする傾向を持っています。すべての人がイエス様のお名前を必要としています。

キリスト教信仰に生きることを道にたとえて、キリスト道と表現することがあります。私たちはどれだけ礼拝に出席し、聖書を読んでもキリスト道を究めることはできませんが、「イエス様、私が歩んでいる人生の道はイエス様がお示しになった道でありますように」と祈りつつ歩みを進めることはできます。このことがイエス様の名による救いです。

 

悪から救っていただく 2019年6月23日

サムエル記下7章16~17節
使徒言行録2章37~47節
説教者:関義朗伝道師

この世のどのような権力も神ではありません。


イエス様の時代は最高権力者が自らを神と名乗り、それを人々に信じ込ませていました。その時代にペトロは「邪悪なこの世界から救われなさい」と人々に勧告しました。これは別の世界に行くことではありません。この世界に居つつ、イエス様に従って神の目に正しいとされる晴々とした生活を送ることです。

この世のどのような権力も神ではありません。イエス様こそ主なる神であり、キリストすなわち救い主です。イエス様は死にも打ち克つ力を持っておられます。死さえも滅ぼすお方が共にいてくださるのですから、私たちはどのような困難をも乗り越えることができます。そのような希望を持って生きることができます。主につながり、御言葉の指し示す所に従って生きていくことで、初めて人は魂の自由と平安を得ることができます。

現代の何が真実か分からないような時代にあってもキリストこそが私たちの救いであり、拠りどころです。

 

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