東京都渋谷区富ヶ谷にある教会です。「ベテル」という名前はヘブライ語で 「神の家」と言う意味です。聖書を大切にしています。
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年別アーカイブ:2020年

神のしもべ 2020年9月22日 聖霊降臨節第17主日

エレミヤ書50章1~5節
ペトロの手紙一 2章11~17節
説教者:関義朗伝道師

キリスト者は「この世の制度や職務に従い、神のしもべとして行動し、自由な人として生活しなさい」(Ⅰペト2:16)と勧告を受けています。これは善を行うことが神の御心(同2:15)だからです。この世の制度やそれを動かす職務の人々が神の御心に適う働きをしているならばキリスト者や教会がその人々に従うことは当然のことです。

しかしその人々が神の御心を行っていないならば、キリスト者は神に従い悪と対峙することが必要となります。過去に多くのキリスト者が悪と対峙し、殉教によってその信仰を表わしました。

神はバビロニア国を用いてユダ国を裁かれましたが、その国も神の御心を行わなかったために裁かれました(エレ50:1~5)。神に従わなければ栄華を極めようとも破滅が訪れます。

キリスト・イエスによって与えられた自由な心をもって神の御心を求め、それに従いたいと思います。

 

福音を恥としない 2020年9月14日 聖霊降臨節第16主日

詩編1編1~3節
ローマの信徒への手紙1章16~17節
説教者:北原和夫牧師

使徒パウロは「福音を恥としない」とローマの信徒に書き送りました。これは「福音(キリスト)から離れることは私にはもう考えられない」ということです。
また「正しい者は信仰によって生きる」とは、「神に依り頼むことによって義とされた人は、その信仰によって、困難な状況の中で、耐え抜いて生きていくことができるのだ」という思いであり、預言者ハバククや使徒パウロの実体験からの確信なのです。

私は2001年9月に起こった同時多発テロ事件の頃、国際基督教大学に勤めておりました。テロ直後の礼拝には、留学生・日本人学生・教職員が会堂に溢れ、皆、涙しながら讃美歌「安かれ我が心よ。主イエスの共にませば、耐ええぬ悩みはなし。」を何度も歌い続けたのでした。

「神に依り頼むことによって義とされた人々は、その信仰によって、困難な状況の中で、ともに耐え抜いて生きていけるのだ」ということは、いまの混沌とした時代に生きる私たちを励まし、慰める言葉であります。

 

神の光を受けて 2020年9月6日 聖霊降臨節第15主日

出エジプト記13章17~22節
エフェソの信徒への手紙5章6~14節
説教者:関義朗伝道師

聖書では闇は恐れや不安を表わします。それぞれの人が人生に恐れや不安を抱いていることだと思います。コロナの流行によって実際に会って交流する機会が減って、孤独が深まっています。一人では恐れや不安を抱えきれなくなった時に精神状態が不安定になったり、将来を悲観したりする気持ちになっていきます。

その心の闇の深さや深刻さは他の人には推し量ることはできません。神を知らなければ私たちは孤独です。

しかし、イエス様の愛に触れるならば、恐れや不安を神に伝え、祈ることができるようになります。主は私たちを導いてくださっています(出13:22)。

心の闇は神を信じることによって晴れわたり、光が射してきます。そして心は光に満たされます。主を信じて主に従う人々は主に結ばれて光となっています(エフェ5:8)。私たちが恐れや不安を抱く時には、主に祈り、主に委ねて、その気持ちを解き放ちたいと思います。

 

神の国を受け継ぐ 2020年9月1日 聖霊降臨節第14主日

出エジプト記34章4~9節
ローマの信徒への手紙7章1~6節
説教者:関義朗伝道師

ある人が「自分は悪人である。死んで地獄・極楽があるのなら、自分は地獄行だろう、そうしなきゃ、この世の中のつじつまが合わないじゃないか。」と語りました。この人は強烈に自分の罪を意識しています。それに対して、ある聖職者は「復活」の話をしました。「復活とは、生きているうち、今すでに、神のいのちに生きることです。」と。悪人も善人もすべての人は、回心してキリストの贖いを信じれば、罪の体は死に、キリストの霊を受けて復活し、新しい生に生きることができるようになります。

律法はそれを与えた神の御心を知らなければ厳守すべき法律でしかありません。しかしキリストの贖いを信じて新しい生に生かされるならば、ちょうど大切な人との約束のように、律法は神との大切な約束であることを知り、私たちは律法を守るように自ら努力するようになります。

私たちはキリストの十字架と復活によって神との関係を正しい関係にしていただいたので、神の子とされました。霊に従う新しい生き方をするようになり、神の国の財産を引継ぐことを許されています。

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成長させてくださる神 2020年8月23日 聖霊降臨節第13主日礼拝

ヨブ記28章23~28節
コリントの信徒への手紙一 3章1~9節
説教者:関義朗伝道師

「知恵とは主を畏れ敬うこと、分別とは悪を遠ざけること」(ヨブ28:28)。私たちは色々な価値観が主張される現代に生きていて、真の知恵と分別を知らず何が主の道かを見失いそうですが、イエス様は神と人とを愛することであると実にはっきりと示されました(マコ12:30-31)。これは人の力では成し遂げられませんが、イエス様が共にいてくださるので、そのような方向に成長する希望が与えられています

しかし教会やいろいろな団体で分派を作って論争してしまうことがあります。主なる神に従うのではなく指導者に従うならば分派は起こるべくして起きてしまいます。神の知恵と分別に従えば、私たちは神のもとにひとつになることができます。

多くの意見を聞いて神の御旨と思われる最善の考えに集約していくことこそが知恵と分別です。
主なる神はこのようにして私たちを神の民へと成長させてくださいます。

 

悪に打ち克つ信仰 2020年8月16日 聖霊降臨節第12主日

士師記6章11~16節
ヨハネの手紙一 5章1~5節
説教者:関義朗伝道師

平和を考える時、平和とは単に戦争がない状態と捉えるのでは不十分です。身分、財産、学歴、身体的・精神的特徴、信仰、出自などの違いを理由にして、力ある者が弱い者を差別する状態は平和とは言えません。

士師ギデオンの召命は強大な外敵による差別的な力による収奪からイスラエルの人々を救い平和を回復することでした。ギデオンは力を持っていませんでしたが、主が共におられたので、主なる神の力で外敵を追い出すことができました。

またキリスト教とは異なる異端の教えによって人々を惑わすのも平和を乱すものです。さらにキリストの教えを知らず、勝手な思い込みでキリスト教を差別するのも真の平和とはほど遠いものです。

これらの脅威から逃れるにはイエス様が父なる神の独り子の神であり、救い主キリストであると信じること以外にはありません。力によって悪に勝つのではなく、主なる神を信じる信仰によって悪に打ち克つ人は幸いです。

 

キリストを想う 2020年8月10日 聖霊降臨節第11主日

箴言9章1~6節
コリントの信徒への手紙一・11章23~26節
説教者:関義朗伝道師

戦後75年の節目に再び戦争の惨禍を思い出しています。今日は長崎原爆忌です。米軍は戦争末期に一般市民が住む主要都市を爆撃しました。日本も東南アジアの諸国や太平洋の諸島で大勢の人々を巻き添えにしてしまいました。

教会も過ちを犯しました。それは神を忘れた罪によります。もし今日の状況が当時のようになったならば、弾圧があってもなお私たちは日本基督教団の戦責告白にある、「ふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たす」ことができるかどうか問われています。

私たちが自分の力でこの使命を果たそうと努力するならば、私たちはいずれ負けてしまい、時代の流れに流されてしまうでしょう。しかし、平和の君であるイエス様が私たちの中におられれば、私たちは主なる神以外を神とする過ちから逃れることができます。聖餐は私たちに主を思い起こさせます。主が制定された聖餐を受けることによって、私たちは再び過ちを犯すことから逃れられます。

 

平和に満たされる 2020年8月4日 聖霊降臨節第10主日・平和聖日

イザヤ書9章1~6節
ローマの信徒への手紙15章7~13節
説教者:関義朗伝道師

戦後75年が経ち、ほとんどの人が戦争体験のない者になってしまいました。ある新聞が「幾多の戦友を失った戦地体験」、「生き地獄だった原爆の体験」と題して特集記事を掲載しました。そこに証言されている事柄は勝者も敗者もひどいことをした事実です。

私たちは戦争の悲惨な体験を語り継いでいくとともに、「主があなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」(ロマ15:7)との御言葉に聴き従わなければなりません。

アフガニスタンのために生涯をささげた中村哲医師は西南支区の2004年平和集会で、アフガニスタンの人々と慣習を受け入れ、尊敬して活動したことを語りました。彼はイエス様に触れ続けていたことだと思います。私たちは互いに相手を受け入れて平和の実現に参加したいと思います。その活動は聖霊によって、いつでも希望に満たされており、この希望は消えることはありません。

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主の目に価高い者 2020年7月26日 聖霊降臨節第9主日

イザヤ書43章1~4節
使徒言行録27章33~44節
説教者:関義朗伝道師

神は「わたしの目にあなたは価高い」(イザ43:4)と言われます。神が一人ひとりを価高い存在と認めてくださって愛してくださっているということを知ることは大きな慰めです。使徒パウロの一行が船で漂流した時に、暴風の中でパンを取り感謝の祈りを献げて食べた出来事にそれが表れています(使27:35)。
しかし現実は必ずしも一人ひとりが大切にされているようには思えない出来事があります。神の御言葉を蔑ろにし、強い者が弱い者を価値の無いものとみなすから、このような悲惨な事件が起きるのです。傲慢な者は自分が有用な人間であることを示すためにそうするのです。その人たちに神の御言葉を告げて回心へと導かなければなりません。
神が私たちを価高い者と認めてくださるのは真実です。その価値はイエス様の命によって救い出したほどのものです。主なる神を信じるならば、私たちはどのような困難にも希望を失うことはありません。

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死は終わりではない 2020年7月19日 聖霊降臨節第8主日

ミカ書7章18~20節
使徒言行録24章10~21節
説教者:関義朗伝道師

パウロは捕えられてユダヤ総督フェリクスの所に送られ、弁明の機会を与えられました。弁明は伝道の機会です。聖霊が彼に語るべき言葉を教えました。パウロは復活のキリストに出会い、宣教者として立てられた人です。彼は復活する希望を持っていることを表明しました。イエス様は父なる神が永遠の命を得させ、終わりの日に復活させることを教えておられました(ヨハ6:40)。
死者が復活することについては現代の私たちの方が昔の人たちより懐疑的だと思います。しかし主はこの世界をお造りになったお方だから、主が御心をお示しになれば可能です。そうであっても私たちは奇跡を期待するのではなく、復活の希望を抱いて主が教えてくださった道に従って日々を暮らしていくことが大切です。パウロはフェリクス総督に「私は復活するという希望を、神に対して抱いています」と表明しました。私たちも復活の希望を抱いて、この世にあって主が示された道を歩んでまいりましょう。

(説教音声を聞くには下の黒枠長方形の左側の▷にカーソルを合わせ、マウスの左ボタンを押してください。)

 
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