東京都渋谷区富ヶ谷にある教会です。「ベテル」という名前はヘブライ語で 「神の家」と言う意味です。聖書を大切にしています。
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年別アーカイブ:2019年

新しい人生 2019年12月30日 降誕節第1主日

イザヤ書11章1~5節
マタイによる福音書2章1~12節
説教者:関義朗伝道師

占星術師たちは運命を信じ、未来を知るために星を調べていました。そして王の徴を見つけ、星に導かれて幼子イエス様に出会いました(マタ2章)。そして彼らは幼子に「主の霊に満たされた人(イザ11:1)」を見出しました。その時、運命を信じていた彼らは神を信じ神と共に生きる新しい人生を与えられたのです。

人の一生が既に決められていて運命を受け入れるしかないとするならば、人は未来に希望を持つことは出来ません。何が起きるかを恐れつつ待つしかなくなります。苦しい事が続くとすべては運命だと諦めるようになります。

どのようなことが起きようとも希望を失わないためには個人の努力だけでは無理です。神と共に人生を歩むからこそ、自分の限界を超えて働いてくださり、状況を切り開いてくださる神に頼ることができます。

神の独り子であるイエス様をこの世界に遣わしてくださった恵みの大きさは語り尽くすことなどできませんが、私たちはこの占星術師の物語を通して主なる神から大きな贈り物を受けたことを覚え、喜びたいと思います。

 

イエス様を迎えましょう 2019年12月26日 クリスマスイブ燭火賛美礼拝

イザヤ書9章5~6節
ルカによる福音書2章1~7節
説教者:関義朗伝道師

子どもの頃にはクリスマスには何か良いことが起きると信じていても、大人になると信じられなくなります。歳を重ねるうちに、裏切られ、だまされるなどの経験をするからです。私は就職して規則や命令の世界に身を置き、それまで持っていた親切心やへりくだる心を忘れてしまい、すさんでしまいました。

その点、古代イスラエル王国の人々は預言者イザヤが告げた「一人のみどりごが私たちのために生まれた」(イザ9:5)という神からの預言の言葉を信じ、自分の代で実現しなくても若い人々にこの預言を伝え続けました。そして遂に神の御子であり私たちを救う救い主のイエス様がお生まれになったのです。

神に信頼する希望とそれに基づく行動は徒労には終わりません。人に裏切られだまされて、低いところに落とされても嘆く必要はありません。御子なる神、イエス様は最も低い馬小屋にお生まれになり飼葉桶に眠ったのです(ルカ2:7)。

主は再び来ると約束されました。その時こそ世界は創造の状態に回復するのです。この約束を信じ、若い人に伝えつつ待ち望みたいと思います。

 

この日イエスは生まれた 2019年12月22日 クリスマス礼拝

創世記1章1~3節
ヨハネによる福音書1章1~5節
説教者:長崎哲夫牧師

クリスマスおめでとうございます。私が初めて教会に行ったのはクリスマスの時期でした。寒い雪の日に私を迎えて抱きかかえてくれた婦人の暖かさを私は今でも覚えています。

神が「光あれ」と言われると光がありました。キリストは神の言葉として世の初めからおられたのです。光のありがたさ、暖かさは格別です。私は八ヶ岳のふもとに住んでいますが、夜になると地上の明かりは何もありません。闇の中で月や星の光は実に明るいのです。

先ほど交読した詩編146編には人を信頼するのではなく神を信頼するという一節がありました。人から何かしてもらうことを期待するのではなく、私があの方をどれだけ愛し信頼するかです。人は悩み続けて生きています。そのような中で本当に信じられるものを信じていくのです。

私は牧師を引退したら読みたいと思っていた念願の源氏物語を読むことができました。光源氏はいろいろな女性を愛するのですが、彼は最後に本当に信じられるものを持っていないということに気づきました。好きなことばかりをしていたが最後はこういうことでした。人はどんなに愛し愛されても最後は別れなければなりません。本当に信頼すべきものがない人は空しい。

ノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)事務局長のサーロー節子さんは「雲霞のような二十数万の魂を身の回りに感じていただきたいのです。一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。彼らの死は、無駄ではなかったと確認しましょう。」と演説で訴えました。

人間は良いと思っても悪いことをしてしまいます。神の前にへりくだらなければなりません。神は私が最初に教会に行ったクリスマスの日に抱きかかえてくれた婦人のように、私たちを愛し、光の優しさ暖かさで抱きかかえてくださいます。

(文責:ベテル教会伝道師 関義朗)

 

救い主の再臨 2019年12月17日 待降節第3主日

マラキ書3章19~24節
コリントの信徒への手紙一・4章1~5節
説教者:関義朗伝道師

私が勤めていた会社で、正月に突然の機械不具合で対応しなければならなくなっても一所懸命に修理しお客様から感謝された技術者がいました。その人は社内の広報誌に「私はやるべきことをしただけです」とコメントしました。自分の計画を台なしにされ大変な苦労をしたにもかかわらずそのように答えたのです。

使徒パウロの宣教は当時の信仰や生活様式を壊すと見なされ、迫害を受け命の危険にさらされましたが、キリストを宣べ伝えることを止めませんでした。彼は正しい善いことをしているという自覚がありました。それでも彼は「自分を裁くのは他人でも自分自身でもなく、主なる神だ」(Ⅰコリ4章)と書き送っています。

その裁きの時はキリストが再び来られる時です(マラ3章)。人々がどんなに悪い評価を与えようと自分で悪い評価を与えたくなったとしても最終的に評価し裁くのはキリストだということを覚えたいと思います。更に私たちが良いと思ってしていることが主の目には悪いことかもしれないという自省の念を持ちたいと思います。再び来られる主に委ねて、「やるべきことをしたい」と思います。

クリスマスはイエス様の誕生をお祝いすると共に、再び来られるキリスト・イエス様を待ち望む時として迎えたいと思います。マラナ・タ(主よ、来てください)

 

神の言(ことば) 2019年12月9日 待降節第2主日

列王記上22章13~17節
ヨハネによる福音書5章39~40節
説教者:関義朗伝道師

待降節を過ごしているこの時期に私たちは悲しいニュースに接しなければなりませんでした。アフガニスタンで30年以上にわたって医療活動や用水路建設に携わった中村哲さんが殺害されたというニュースです。彼はキリスト者としてアフガニスタンに寄添う生き方を貫きました。

人の生き死には神の御旨によります(王上22章)。しかし、義人や善人が殺されることは神の正義に反し、理不尽ではないかと叫びたくなります。

主イエス様は安息日に病人を癒したことで、律法を守れと主張する人々から迫害されるようになりました(ヨハ5章)。人は自分が正しいと信じ込むと教条的になります。主は十字架で処刑されてしまいました。しかし死は終わりではなく、主はその死からよみがえられました。

私たちが死は絶望ではなく、よみがえりの希望であると受け止めることができれば、死の恐怖を超えて主に従うことができるでしょう。それは私たちに神の御言葉が宿った時です。主は「命を得るために私のもとに来なさい」と私たちを招いておられます。

 

不安から抜け出す 2019年12月2日 待降節第1主日

イザヤ書52章7~10節
ヨハネによる福音書7章25~31節
説教者:関義朗伝道師

カトリック教会のフランシスコ教皇が来日し、被爆地である長崎と広島を訪れ核兵器廃絶という明確で力強いメッセージを発しました。主に連なるプロテスタント教会もキリストの言葉を伝える教皇のメッセージに耳を傾けたいと思います。

イエス様は預言者イザヤが告げた、「平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げるお方」です(イザ52:7)。そのイエス様が私たちに身をもって教えてくださったことは「神は恐ろしい裁きの神ではなく愛の神である」ということでした。

神は恐れるお方ではなく、私たちと共におられ、私たちを愛して幸せな人生へと導いてくださいます。もしイエス様がお生まれにならなければ、私たちは神を誤解したままで恐れつつ人生を送らなければなりませんでした。

キリスト者は誰でもイエス様に倣い、平和と恵みと救いを告げる者です。イエス様のご降誕を記念しお祝いするクリスマスを待ち望みましょう。

 

まことの統治者 2019年11月25日 降誕前節第5主日

エレミヤ書23章1~6節
ヨハネの黙示録1章4~8節
説教者:関義朗伝道師

ベテル教会は教会員が高齢や移動などの理由により、礼拝で共に主を賛美する人数が少なくなってきました。一方で教会員ではないけれどベテル教会に集う人たちがおられます。散らされている中で集められている状況だと言えます。

主なる神は預言者エレミヤを通して、「私は人々を牧する牧者を立てる。人々はもはや恐れることも、怯えることも、また迷い出ることもない」と告げました(エレ23:4)。この預言はそれから約600年後にイエス様の降誕により成就しました。そしてそれから2000年後の今や、私たちはキリストの到来による神の国の幻を見ています(黙1:4-8)。

ベテル教会は今にも倒れそうに見えて、ホームページの開設や教会通信の発行など御言葉をお届けする働きを増していることは奇跡としか言いようがありません。ベテル教会を愛する人々を集めてくださる主なる神を讃えます。願わくは、主がそれぞれの人に人生を明るく希望に満ちて生きていく信仰をお与えくださいますように祈ります。

 

神が遣わした者 2019年11月18日 降誕前節第6主日

出エジプト記2章1~10節
ヨハネによる福音書6章26~29節
説教者:関義朗伝道師

モーセは赤ちゃんの時に王の命令によって死ぬべきであったのに、度重なる偶然によって生き延び、ヘブライ人を奴隷から解放する指導者として神から立たされました。母がモーセを可愛く思い自分の身に何が起きようとも育てようと決心したことや、王女がモーセを見て不憫に思ったことで生かされました。モーセの母も王女も神の働きに参加するという意識はありませんでした。しかしそこには神の御心が働いていました。

ベテル教会に集う私たちが小さな群れである自分達の状況にもかかわらず、会堂を必要としている教会のことを思い会堂建築献金を献げたのも神の御心であったと思います。その結果を知ることは普通はできないのに、それぞれの教会から会堂が建てられたことの感謝の便りが寄せられたことは驚きであり喜びです。

私たちが神から遣わされたイエス様を信じてその教えに従い、その方の生き方に倣うことが、知らずのうちに神の業をおこなう者へと変えられているのです。

 

人生の旅路を導く 2019年11月11日 降誕前第七主日

創世記12章1~9節
ヨハネによる福音書8章56~58節
説教者:関義朗伝道師

神の言葉は二千年前に人となられました。それがイエス様です(ヨハ1:14)。イエス様はご自分を『わたしはある』(ヨハ8:58)と名乗られました。これはモーセが聞いた神の名と同じでした(出3:14)。『わたしはある』という名前は存在の源、存在の原因となるお方を意味します。神は私たちにイエス・キリストという神の名を与えてくださったのです。

ある講演会である人が「私は今まで神さまの言葉を聞きませんでした。どうすれば聞けるでしょうか」という質問をしました。それに対する応答は「実はいやというほど聞いているんです。でも、それが神さまからの言葉だと信じられなかったということです。」というものでした。

私たちは神の言葉を聞いています。そしてその言葉に促されて行動したら、人生が変わるほどの体験をします。そのことはアブラハム(創12章)や多くの信仰の先達が証ししています。神の言葉に促されて行動してどんな結果になるかを恐れることはありません。主なる神は私たちを大いなる人生の旅人(創12:2)にし、導いてくださいます。

 

救い主が来られる 2019年11月4日 降誕前節第8主日

創世記3章1~15節
ヨハネによる福音書3章16~21節
説教者:関義朗伝道師

詩人の吉野弘さんの詩「I was born」の一節に、『人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね。』という少年の言葉があります。この少年の苦しみは母親が自分の誕生と引き換えに死んだという思いでした。彼はそれを抱えて生きていました。

聖書は、苦しみの原因は神から離れてしまったこと(創3:1~19)だと語り、苦しみから救うために神は独り子をお遣わしになったと告げます(ヨハ3:16~21)。

イエス様は十字架で死なれて陰府にまで降り、そこからよみがえられました。もし少年がそのことを信じれば、「自分は行くことができないところにイエス様は行って、きっと母の苦労や無念の思いを癒してくださったに違いない」と思えることでしょう。

人は過去の出来事を変えることはできませんが、その出来事の意味を神との関係においてとらえ直すことはできます。それを可能にするのは主イエス様の愛を信じること以外にはありません。そこに救いの光があります。

 
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